2008年07月05日(金)
  「自分の中でぐるぐる」

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。
―主の御告げ―
天が地より高いように、わたしの道は、あなた
がたの道よりも高く、わたしの思いは、あなた
がたの思いよりも高い」イザヤ55:8

Aさんが「しみじみと、ほんとに経験しました。
全然自分の思いと、神様の思いは違うんですねえ。
思ってもみない、思いになど全く無い、想定外の
ことをされるんだなあと。思いの遙か圏外のこと
をされる。もう、思い、及びませんねえ」

様々経験して、むしろ自分の思いは違うんだと
思っていたら良いんだと、学ばされました。」

神がはっきりと「あなたの思いと異なる」と言われ
るからには、人間が思っている以上に、かなりに、
大幅に違うんだ。違うんだと思っていて丁度良い。

以前の青年会で、B先生から「信仰」についての
学びの中で「自分の中で、ぐるぐる」というのが
あった。

神は、自分とは違う存在、全くの第三者であり、
だから第三者なら、その人の意志があり、考えが
あり、思い、感情がある。全く別の人格だ。

その別人格であられる方を、信じるのが信仰であり、
だから、別の人格を持たれ、思いを持たれるから、
別人なので、自分とは全然違う。違って当然。

それが、自分の思いの中に、神を取り込み、神と
は、ああで、こうでと、どこまでも自分の思いの
中で、ぐるぐるする。
つまり、神と接触していなくて、自分の思い込みの
中で行ったり来たり。思いが強いとそうなる。

自分の思いの中で、ぐるぐる、なので、神とは人
間が理解できる範囲を越えない。必ず人間の理解内、
想定内になる。
しかし、実際の神は理解を越えているから、必ず意外
であり、大きな驚きであり、想定外になる。

御言葉を求めるが、自分の思いがあるばかりだから、
無意識だが、自分の思いに合った御言葉を取って来て、
自分の中で、ぐるぐるとなる。

「すべての事が、自分から発し、自分によって成り、
自分に至る。栄光が自分にあるように」となる。
神に触れてなくて、自分の中でぐるぐるしている
だけ。

Cさんが「何か、それ、すごいわかります。ふと、そう
いう事を考えてたんです。自分もそうだなあと」。

「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が
健全なら、あなたの全身は明るいが、もし、目が悪け
れば、あなたの全身は暗いでしょう」マタイ6:22

ほんとに目が間違っていたら、すべてが目から入るから、
何もかも間違ってしまう。

目が自分の思い込みなら、その思いで、すべてを判断し
見てしまう。自分が見ているその見方が、目が間違って
いたら、正反対の方向へ行ってしまう。

自分はこう見えているけれど、自分の思い込みかも知れ
ない・・思いは違うことをわきまえて、へりくだって、
明け渡して御霊に導かれて歩みたい。
御霊によらなければ、ほんとに見えないんだ。
自分の思いがあるばかり。