2003年08月17日(日)
  礼拝の感謝

しばらく留守にしていたので、今日は久しぶりの礼拝。
Uコリント4章から「うちなる人が強められる歩み」
というテーマでのメッセージだった。

私達は日々、歳を重ね体力もまた外見も衰えて行くが、クリ
スチャンには日々新しくされるものがある。うちなる人だ。

見えるものにのみ目を留めて行くなら、それのみに心は捉え
られ、左右され、そこに満足を追い求め、思い通りにならな
ければがっかりしてしまう。

しかし、いつも信仰によって歩むなら
・日々の歩みの中で聖霊様によって神様を身近に感じる事が
 あるならその時ごとに確実に天への確信をもてる。
 蜃気楼のようなこの地上に望みを置くのではなく、天にお
 られるイエス・キリストに目を向けていける。

そして、キリストの愛を受けて歩むとき、
イエス様の喜ばれる事を第一に考え、
使徒パウロのように私達も神様のご用のために働く事ができ
る。
また、恵みを分かち合えるキリストの使節として生きる事が
できる・・・このようなお話しだった。

メッセージの中で伊豆先生が読み上げられるUコリント4章
5章が耳に入るとすぐに心へ落ちる。

*私達はキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通
して懇願しておられるようです。…神の和解を受け入れなさ
い。         Uコリント5:20

私を含め、どれだけのクリスチャンがこの神様の懇願される
御心を自分のものとして受け止めているのだろう。
天国への約束だけを頂いて、真理を知っているというおごり
と怠慢の日々には、内も外も老いさらばえて行くしかない。

恵みを受けるだけ受けて分かち合わないクリスチャンを死海
に例えて話された。入り込むだけで何処へも流れない死海は、
濃い塩分で魚もすめないと。

日々衰える身体と一緒にしぼんで行く信仰生活にならぬよう、
神様に託された和解のメッセージをもう一度しっかり受けと
めた礼拝だった。   
                by 富士子