2003年09月05日(金)
何に焦点を当てるか
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B婦人。次から次と困難が臨み、一つづつ順番
にでなく、幾つもの大変な事態が重なり合う状
況。一つ一つがどれもが厳しい試練。もう、何
が何だかわからない。身体もクタクタのヘトヘト。
大きな厳しい試練続きに会い、自分の人生にとっ
て、何が一番大切なのかを考えた。
経済的に、心配が無かったら幸せなのか、そうで
無いことはわかっている。家族全員が健康なら幸
せなのか、良いことかも知れないが、それが一番
大切なことではない。
家族の誰にも、何の問題も無ければ幸せなのか、
いや、問題自体は、何ら不幸ではない。
一つ一つ考えて行った。そんな時、二人の人から
全く同じ事を言われた。子供がお母さんは幸せに
見えると言った。そして、近所の人に、いつも幸
せそうでいいですねえと言われた。
次々臨む困難の中で、確かに自分は幸せだと思えた。
混乱して、目に見える問題に翻弄されそうになっ
ていた時、しっかりと、見るべきところへ戻して下
さった。
教会へ来て、学びをする中で、目の前の状況が整
理されて行った。神に焦点が合い、神を通して物
事を見る時、正しい位置に戻される。
神様にはご計画があり、ご自身でしようとしている
ことがあられる。はっきりとした意志をお持ちだ。
偶然の不運に、翻弄されているのでは、決して無く、
その神様の意志とご計画が、今まさになされている。
混乱していたのが、信仰に立つことができるように
して下さった。
今の出来事が神様から与えられているので、その中
で、神様のお心を知って行けるように。そして、と
にかく、状況が変わって、状況が好転するようにと
の発想しか無かったが、そうでなく、この中で、自
分自身が成長して行けるように、神様を知って行け
るようにと、祈りが変えられた。
状況しか見えない時、神様が飛んでしまう。動揺し
混乱し、右往左往、深い闇の中に落ち込む。
しかし、神様を通して状況を見る時、信仰の目が与
えられる。神様の発想で状況を見て行く。平安の計
画であり、将来と希望のためのもの。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよ
く知っているからだ。−主の御告げーそれはわざわ
いではなくて、平安を与える計画であり、あなたが
たに将来と希望を与えるためのものだ。」
エレミヤ29:11
by 多恵子
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