2003年12月03日(水)
  「依存」

Bちゃんとずっと話す。一人一人弱さがあるが、
特別に「思い煩い」が強い。電話で、何時間も話し
たり、メールのやりとりをしているが、もう余りに
あんまりの思い煩いに、ある時、「もうねえ、Bち
ゃんは、思い煩いが好きなんよ」と言うと、

思い煩いが嫌で、こんなに悩んでいるのにと思って
いたが、心の中をよくよく探って考えると、ピッタ
リ当たってると。自分は本当に思い煩いが好きなん
だと、それってわかる、と。

サタンの学びをしていた時、自分の一番弱い所に、
絶えず、常に来ていると話していたら、別のCちゃん
も、自分の一番弱い所は「思い煩い」だと。

まず、そこに最初のサタンの火矢が来て、無防備で
受け入れてしまうと、どんどん思いの中につけ込まれ、
それが乗じて来て、膨らんで、被害誇大妄想になって
しまうと。それが常に襲って来ていると。

そして、「それって、わかる!」「こんなに思い煩
いに苦しめられているのに、好きなんですよ、その
感覚、すごいわかる!!」

思い煩いがあれば安心し、無ければ不安になる。思い
煩い依存症。嫌なのに、不思議に居心地が良いのだ。
それが無いと、自分が自分でなく居心地悪い。
長い間に染みついた培われた、心の内の有り様があっ
て、自分が成り立っている。無意識に依存している。

Dちゃんが「私は自己憐憫」と言った。自己憐憫は
ものすごく心地良いと。誰も私の事なんてわかって
くれない。
すねて、人をシャットアウトし、自分の中に閉じこもる。
イエス様を知るまで、ずっとそうして生きて来た。それ
はとても楽で、居心地良い場所と。

ある宗教は、全員に依存関係を作り上げ、互いに依存
させ、縛り上げて、拘束させ、がんじがらめにする。
それを見かけは、愛という綺麗な美しい形でする。

助けられる者は、助ける者への依存関係を築き上げ、
又、助ける者も、助ける対象に依存して行く。必要
とされる事で心の満たしを得、その対象がないと生
きて行けなくなる。

相手のためではなく、助けることで、自分の存在確認
をし、自己充足のために使う。互いが依存し合い、
居心地良くて、そこから抜け出られないようにする。

Dちゃんは、イエス様に出会い、自己憐憫への依存の
誘惑がくると、拒否することを始めて行った。サタン
の誘惑には、ひたすら拒否、拒絶。

依存て、ストレートな目に見える罪でないから、ほと
んどわからない。それに陥っていて、全く気づかない。

「彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、
人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには
自由があります」Uコリント3:17

まずおおいに気づかせ、おおいを取り除き、どんどん
自由にして行って下さる神様に感謝!!
主の御霊のあるところは、自由!!
by 多恵子