2005年06月01日(水)
  衝撃の「キリング・フィールド」

青年会で、カンボジアについて知ろうと、映画を見た。

「キリング・フィールド」ポルポト時代が背景の映画
で、アメリカ人新聞記者とカンボジアの現地の助手の
友情が描いてある。
ナチスの映画は色々あるが、ポルポトの映画はこれ一
つぐらいらしい。

ポルポトの虐待地獄を通った本人が、映画に出演、助手
を演じている。全くの素人なのに演技が巧い。心にしみ
入る。アカデミー助演男優賞をとったそうだ。数々の心
に残るシーンがある。
本当に通った人だったんだ。演技でなく、地獄を知って
いる人なんだ。
でも、この映画で描かれているポルポトの残虐さは実際
の2,3割なんだそう。こんなものでは無かったと。

映画を見る前に、その助手を演じた人が、アメリカに
渡った後、亡くなったと。
「殺された」に、皆で「えっ!」。一瞬、シーン。

1975年、ベトナム戦争が終結し、アメリカ軍が撤退。
カンボジアのロンノル政権も崩壊し、ポルポトのクメール
ルージュが政権をとった。その頃から映画は始まる。

カンボジアのアメリカ大使館から、ヘリコプターでどん
どん脱出する。
新聞記者がカンボジア人の助手一家も一緒に国外脱出
できるよう手はずを整える。
新聞記者は報道のため残る。助手も残る。助手の妻子
はアメリカ人と共に国外脱出に成功。

青年達「何で!何で!逃げんのん?はよ、逃げにゃあ!」
「ヘリコプターに、はよ乗れよ!!」「乗れー!」
「何であんな恐い所に残るん!」「そりゃ記者なら報道
したいじゃろ。使命感あるし」
「自分がせにゃあ、する人がおらんと、思うんじゃない
ん」「そんなー、私なら、私一人おらんでも、誰かおる
じゃろと思う。絶対逃げる」(大笑)

ポルポトのクメールルージュが首都を占拠する。言わん
こっちゃない、記者、カメラマン、助手は捕まる。そばで、
人々が無惨にいとも簡単に殺されてる。
殺人を何とも思わないやからに、取り囲まれ、連行され
る。主人公達の恐怖が伝わってくる。
言葉が一切わからず、自分達の命が、人を人とも思わな
い、残忍な者たちの手の中にある恐怖。

現地人の助手の懸命のとりなしで、命が助けられる。
恐怖政治がじわじわと、身辺に迫る。外国人は皆国外
退去する。現地人助手は新聞記者、残るなら必ず殺
される。

共に脱出を計ろうと、ニセのパスポートを作るが写真
で失敗し、助手はポルポトの虐待地獄を通る事になる。

大人は既成の価値観があるため、子供に照準を当て、
都合の良いように、洗脳する。子供に銃を持たせ、
大人を監視させる。子供が大人を殺して行く。

家族は無意味と解体し、相互監視させ、密告社会を作
り、誰も信用出来ない。もの言えば殺される。言うが
ままになるしかない。

1975年から4年ほど。ほんの30年前の出来事。
銃を持って人を殺した子供達が、今大人になっている。
宣教していて、愛がわからないと言う。愛の概念が無
い。こんな悲惨な歴史で、愛なんてわからないだろう
と思う。

子供が大人に銃を向けて監視し、支配している。異様
な異常な光景に、皆で大きなショックを受ける。
「でも、賢いですよねえ。大人は価値観固まっている
から、子供に目をつけて、子供を都合の良い人間に作
り上げようなんて」

助手が強制労働の虐待から脱出を計る。野山をひたす
ら歩いて逃避行。疲れ果てて倒れ込み、目を覚ます。
湿地帯の水たまりに、ドボッ!!と身体ごとはまる。
何と、そこは骸骨が埋め込まれた穴。ふと目を上げる
と、一帯は数え切れない、無数の骸骨、骸骨・・ 
広大な平原一帯に骸骨の残骸。

見ていて「ええっー!! 何!!」絶句。何だか凄い衝撃
だった。
それが、キリング・フィールド(殺りくの野)。強烈だ。
ポルポトが虐殺したのは、200万人と言われている。

アメリカへ帰国した新聞記者は、カンボジア報道で
ピューリッツア賞を受賞した。アメリカから、現地の
助手を捜すべく、あちこちに手を尽くすが所在不明。

相棒のカメラマンに、どうして助手を逃がさなかった
のか。賞を欲しいがために、現地にとどめたのでは
と責められた。彼を捜しにカンボジアへ行ったのかと。

結局、助手は地獄を生き延びて、記者と再会を果た
す。映画はそこで終わっていた。

終了後、皆で、しーん、と沈んだ。
「重い・・」「辛い・・」「えっー!! あそこに行くん
!・・・」「あかりちゃんも行くん!」

「パッションに続き、重かった。これは実話じゃけ、
迫るよね」「パッションも実話よね」

カンボジア情勢、落ち着いたのが1993年で、今から
ほんの10数年前。「えっー、それって、ごく最近の事
じゃん」
「ポルポトの虐殺って、報道されてたんか?」
「全然無かった。カンボジア難民の事はよく出てたけど」

「鎖国状態で、外国に伝わらないよう、留学経験者は殺
し、外国語を話せる者は殺し、知識層は皆殺し、手のき
れいな者も子供が殺してたよね。眼鏡かけてるだけで
知識人だと殺されて」

「外国も信じれんかったんじゃないん。戦争で敵を殺す
のはわかるけど、自国民を何100万人もの大量虐殺な
んて聞いた事ない。有りえん。」

唖然状態で、ずっしりとひどく心重く、しかし、カンボ
ジアの人々の救いのために、ずっしり重荷を増し加えら
れた。

今、現地で働いておられる宣教師の先生方が豊かに
用いられますように。
カンボジアのために祈るばかり。

by 多恵子