2006年06月03日(土)
  「砕きは痛いが感謝」

「クリスチャン人生、砕かれるよね」と、交わっていた。
愛の御手だと思う。
振り返って、砕かれ、砕かれて、神様を膚で知って
来たし、それが無かったら、何も、何一つ、神様のこと
をわかっていないと思う。

神様は、愛の御声に、従順に従って欲しいと思って
おられる。御言葉を聞いて、素直に従えたらどんなに
良いか。
でも、人は強情で、頑固で、自我が強く、自分の
道を行く。

Aさん「そうです!結局のところ、神様に対する畏
れが無いんですよ。神様を甘く見てる。少々は大丈
夫だと、なめてかかってる。」

「主を恐れることを選ばず、わたしの忠告を好まず、
わたしの叱責をことごとく侮ったからである」箴言2:29

生活の中に、色々な事柄が起こって、神様としか
思えないような事態があり、まさに神様から、忠告が
来ているのに、尚も神様を認めず、神様を恐れずに
歩むのは恐い。

ガーンと砕きが来る。神様への聖い恐れが生じる。
昔、出産の時、様々な奉仕が一時お休みとなった。
出産後、そろそろこの学び会やあの奉仕を始めたら
良いかなとの御霊の促しを感じた。

しかし、忙しくてバタバタしていて、ぐずぐずしていた。
始めるとなると、時間的、労力的犠牲が必要となる。
御霊の促しを感じながら、すぐ出来ないで、尚もぐず
ぐずしていた。
その時、耳に痛みがあり、段々痛みが強くなり、病院
へ行くと、菌によるものとの事、通院を続けて治ったが、
相当な痛みだった。

その時、わかった。愛の語りかけに応じる事ができない
者のために、砕きが臨み、後押しして下さった事。

即、従えた。痛いとすぐに従う。ほんとに現金だ。
自我の殻は固くて従えない。砕きは感謝。
強情が砕かれて、素直にされて、従うようにされる。

その奉仕を通して、素晴らしい恵みと祝福に
あずかれて、大きな喜びを備えて下さっていた。
本当に始める事ができて感謝だった。

神様を畏れて、愛の御声に、促しに即従えたらどんな
に良いだろう。そう出来るように。
by 多恵子