2006年12月02日(土)
  「両刃の剣」

御言葉の力を、ずっと学んで来た。

いじめに会い、心がぼろぼろになった人々が
御言葉で、新たにされ、神の力を受ける証し
を色々目にした。

最近のいじめは、昔のがき大将のようではなく
陰湿、陰険、誰が標的になるかわからない。
次は突然自分が標的になったり。

「死ね」「うざい」「気持ち悪い」「消えろ」
などと四六時中言われ続けたら、どんな人でも
自分の存在を否定され、自分の価値を無くして
しまう。言葉の暴力だ。心が死んでしまう。

御言葉は、どんな状況にも打ち勝って行く、
神の霊が宿っている。
イエス様が共におられる事を、御言葉により真
に受け取った時、何も恐くなった子供が、いつ
ものようにクラスの子達がいじめに来た時、
思わず笑みがこぼれた。

いじめっ子達はその気配に恐れをなして、二度
となくなったと。神が働かれたと。

「耐えられない試練はない、逃れの道がある」
の御言葉を受け取った子は、神様にすべてを
委ねて、祈り続けていたら、なぜかわからない
が、相手が謝罪に来たり、神様はまことに生き
て働かれ、様々なみわざをされる。

神の口から出る御言葉を受け取る時、状況に
関係なく、力が湧く、希望が湧き、愛や赦しが
そこにある。

神の御言葉は、両刃の剣よりも鋭い。生きている。
御言葉を握る時、霊の敵はひるむ。どうもできない。

私たちが戦っている相手は、血肉ではなく、
もろもろの悪霊に対するものだ。

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するもの
です」エペソ6:12

御言葉は霊であり、いのちであり、力だ。
今日も神の口から出る、御言葉を受け取りたい。

by多恵子