2003年07月17日(木)
  「ノーと言うことの必要」

Cちゃんが、電話をして来た。小さい子供を抱えて
フルタイムで働いている。仕事が精神力も体力も
要る重労働。帰宅後は、もう消耗しきっていてクタ
クタのヘトヘト。もう何の余力もない。

休みの日は、まず子供に時間を取る。普段ほとんど
対応してやれていないので、その穴埋め。
家事も山積み。休みでないと出来ない。独り住まい
の知り合いのおばあちゃんが気になる。
普段から証しをしていて、交わりを大変喜んでくれ
る。あれも、これも〜。

一番大切な、主との交わりの時間が取れていない。
心がいつも焦っていて、心が立ってしまっていて、
何か慌しく、これではいけないと、平安がない。

イエス様が目の前のことを、何もかもされていたら、
必要は際限なく、一生それで終わられただろう。

イエス様は必要のために動かれたのでなく、父の
みこころを行われた。「必要」でなく、「みこころ」。
目の前の必要を行っていたら際限がなく、本筋ずれて、
迷路に迷い込んでしまう。
幾ら時間があっても、足らない。一生がすぐ終わる。

「わたしには、あなたがたの知らない食物があります」

「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみ
わざを成し遂げることが、わたしの食物です」

別の人は、10人の娘の箇所で、油を用意して
いた5人の娘達はケチだと思ったと。油を用意
していなかった5人の娘達に分けてあげればよい
のに、と。
しかし、この賢い5人の娘は自己中心で分けなか
ったのではない。花婿のために自分の務めを果た
すためだ。

神のみこころに応えて行くのが一番であり、義理
や情、義務感で、人助けをしたり、動いて行く
なら、無理が生じてくる。

時間、労力、自分の能力、体力等、無限ではない。
絶対量があり、限界がある。
目の前のことを、何でもかんでもするのでなく、
神の求めておられることをよく知り、みこころ
を行うことを教えられる。
by 多恵子