2005年07月08日(金) 「明け渡さない心が問題」
神様が信仰を喜ばれることを学んでいた。 「色々な事で、信仰試されます。子供の就職試験 の時、一方では、委ねていたらよい。神様が絶対 に良くして下さる。子供に一番ふさわしい所を与 えて下さる、大丈夫だ、との思いがある。御霊の 思いだ。 でも、もう一方では、信じきれないので、本当に いいのだろうか。このままで大丈夫なんだろうか。 ほんとに祈っているだけで大丈夫なんか?自分が 何とかしなくては。コネを捜し回った方がよいの ではとの、思いが来る。強い肉の思い。 自分が、明け渡していない事がわかります。肉が、 神様に頼るのでなく、自分で何とかしようとして いる。だから、平安がない。悶々とする。祈って はいるんだけれど、半信半疑で不安。 問題は自分が委ねきれないところにあったのだと、 よくわかる。 子供を神様に明け渡さないで、自分がしっかり握 っている。だから、信仰がふらふらグラグラする。 今までを振り返ると、絶体絶命になって、もう自分 でどうしようもなくなって、断崖絶壁、なすすべな く、もういいやと、ほんと握っている手を放した時、 いつも神様の奇跡やみわざを見た。振り返ったら、 ほんとそうです。 結局、ほんとに就職試験、合格が与えられ、行き先 が与えられた。それも子供も好きな道、子供に一番 ふさわしい所へ導かれた。神様は真実だった。 自分の委ねきれない不信仰が問題。今日、自分自身 を神様に明け渡して、子供を委ねます。不信仰でな く、神様を信じて行きたいです」 いつも肉と御霊の二つの選択が目の前にある。 信仰も、信じて行こうと意志しなければ、あり得ない。 不信仰でなく、信じる方を選び取って行きたい。 by 多恵子