2006年05月03日(水)
  「普通は特別」

少し前までお身体しんどかったDさん「普通というのは
有難いですねえ!!!何と有難いことかと思います。
こうやって普通に動けて、集会に来れて、神様の恵み
ですねえ。しみじみと神様を思います」

持病持ちのKさんも「悪化する時は、もうどうにもなら
ずしんどくて、落ち着いた時には、ほんとに感謝で感謝
で、感謝で一杯でつくづくと神様の恵みがわかります」

私も先日、めまいがして、2日間ほど横になっていた。
とにかく、起きれない。めまいと共に吐き気が来て、
気持ちが悪くて、気分の悪いと言ったら。
ほんとに「ダウン」といういう感じで、その時には、もう
身体が起きれるなんて奇跡に思える。
歩けるなどと、どこの世界の事かに思える。
身体は重くて、だるくて、とにかく寝ている事しか
出来ない。

それでも、3日目には、寝たり起きたり出来て、
少しづつ力がついて来て、段々と回復し元に
戻った。普通に起きれること、歩けること、動き回れ
ることが、何と恵みで有難い!!感謝!!

生活している瞬間、瞬間に、ふっと、こうやって
今、動ける事がなんて感謝!!嬉しい!!
ふっと、心からの喜びが湧き上がる。

当たり前でなく、そこに神様を覚えることができて、
神様の恵みに目が行く。

この神様の恵みと祝福と愛を、身をもって知らせる
ために、病を送られたんだと思える。

デボーションで詩篇を読んでいたら、「わたしは岩の
上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう」とあった。

日々の何気ない、平凡な日常に、神様が随所に「岩
の上にできる蜜」を置いて下さっていて、神様の甘い
喜びと祝福がある。目が曇っていたら、見えないし、
心が鈍っていたらわからない。
目の前の事をこなすのに、多忙過ぎても見落として
見えない。

病気をして、普通であることが、岩の上の蜜である
ことがわかり、心から嬉しいー、喜びと感謝が溢れ出る。
普通は特別なんだとわかる。普通の生活に感謝が
しみじみと出て来る。

ということは病気が感謝なわけで、痛みや傷を通してしか
見えないものが、様々あるんだろうな。

by多恵子