2006年12月01日(金)
  「いじめ」

友人がPTA役員をしていて、近くの大学教授を
呼んで、いじめの講演会を開いた。
その時の、その講演の結論が「いじめに解決は
ありません」だった。

「牧師に来てもらったら良かった」と言っていた
が、この世に解決は無いと思う。

いじめが人間の罪から来ているからだ。奥底に
あるドロドロした罪、自分の傷をいやすために
人を傷つける。人を傷つけて自分をいやす。

心の傷は、物ではだめで、人格を傷つけないと
癒えないそうだ。人を痛めつける事が面白い、
痛めつけて、自らの鬱屈を発散させる。

戦時中の捕虜の虐待や、日本が各地でした事、
ホロコーストや、ごく日常の、上司が部下にスト
レスを発散させる、母親が子供に自らのイライラ
をぶつける、弱い者へ弱い者へと向かう。

いじめられた者が、人の弱さがわかって、と
いうのではなく、いじめられた者が人をいじ
めて行く。
陰湿、陰険な罪の性質であり、人間の力や教育で
どうにもならない。子供でなく、大人の社会に
いじめがあり、子供はその真似をしている。

いじめに会われたキリストの十字架が解決だ。
祭司長達は、陰湿な妬みをぶつけ、ピラトはわか
っていて、ただただ自分大事、暴動になれば、
将来がおじゃんで、自分を守るだけ、

群衆は、自分達の鬱憤、鬱積、何もかもをキリス
トにぶつけ、殺せ、抹殺しろ、の大軍団。

兵士達は、この時とばかり、自分の日々の鬱憤を
晴らすため、何の関係もないキリストを、怒りと
恨みと屈折した感情で、滅茶苦茶にむち打った。
自分のストレスを晴らすために。

ほとんど十字架にかかる前に、拷問死にも等しい
ほどに、痛めつけた。
皆が、キリストを血祭りにあげた。いじめそのものだ。

いっさい抵抗されず、完全無抵抗で、全部のいじ
めを受け入れ、引き受け、やられるがままで、
最期は十字架で死なれた。

人間のやりたい放題、なされるがままを受けられ
ることにより、人間の罪をあらわにされたんだ
なあ。どんなに陰湿陰険で、おぞましいか。

これらすべてが自分の姿なんだと。

キリストの十字架を見上げる時、愛が心の核心に
触れ、真実を貫き通ように感じる。
愛が流れ出て、温もりと潤いといやしが流れ出る。

十字架を見る時、胸がいっぱいになる。
愛がわかる。これが解決なんだと。

by多恵子