2007年10月01日(月)
  「心が変えられる」

家族の反対に会いながら、遠隔地で一人で信仰を
守っておられるAさんに会った。
牧師先生が定期的に訪問し、御言葉の学びをして
おられる。

大変な状況の中で、信仰が守られていること自体が
奇跡に見える。
目の前の状況は、困難、問題だらけ、行き詰まりの
ように思える。
その状況と問題を見ていると、どんどん心が沈んで
落ち込んで行く。そして、どんどん否定的、悲観的
になりる。

「お先真っ暗の、最悪のシナリオが出来上がってる
んでしょ」と笑うと、「そうです!そうなんです!」(笑)
「最悪のシナリオを自分で作っていて、自分で落ち込
んで行く」「わかる、わかる」(笑)

「でも、神様を見上げた途端、希望が見えるんよね」
「そうです。そんな落ち込みの中で、聖書を開いて、御
言葉が心に入って来ると、ああ、そうじゃない、神様が
おられると、心が楽になって、平安が来て、希望が持て
るんです」

「御言葉ですよね!」鍵は御言葉だ。御言葉が臨ん
で来る時、不思議だが、ほんとに心が変えられる。

「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、
またいのちです」ヨハネ6:63

御言葉には霊といのちが宿っている。不安から平安へ、
失望から希望へ、落ち込みから喜びへと変えられる。

どんなに状況が悲惨で、過酷でも、状況自体は問題
ではない。その状況の中で、心に全き平安が与えられる。
それは主から来る、主の平安で、状況に全く関係が無い。
クリスチャンにはこの平安が与えられている。

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは
違います」ヨハネ14:27

この平安は世には絶対に無い、主からのもので、
クリスチャンだけが持っている平安だ。
この平安がある時、どんな環境、境遇、状況の中
でも生きて行ける。

現実の問題自体の重荷より、それをどっと取り込んで
否定的、悲観的、妄想をどんどん膨らませ、大きい
巨大な怪物、亡霊を作ってしまう、その重荷の方に
疲れ果ててしまうことに気づく。
サタンがどんどん否定的にし、膨らませる。

神様に視点を置く時に気づけ、御言葉に心を向ける
時に気づける。
そして、状況は何も変わらないのに、心が変わる。
心に平安があるので、苦しい状況を乗り越えて行く
ことができる。