2008年07月01日(火)
  「痛みが恵み」

振り返る時、自分の人生で苦しかったあの事、この事
があったゆえに、神様のもとへ来れた、導かれたよね
と話す。

Aさん「人生で、この事が無ければ良かった失敗をして
しまった。その苦しみを抱えて、神様のもとへ来れた。
神様に出会って、その失敗を悔い改めて、赦して頂いた。
その時の、平安、喜び、安堵が忘れられない。

痛い、苦しい事だったけれど、それが無かったら、
絶対に神様など求めていない。
神様に出会えて、その後の人生、神様と共に歩めて
感謝してもし尽くせない。」

Bさん「もう限界オーバーになってしまい、自殺未遂
をしてしまって、まだ子供の小さな小さな時だったが、
子供が見ていた。それ以来、子供も情緒不安定で、
自分も育児ができなかった。

何をどうして良いかも、わからず、苦しくて、辛くて、
悶々状態だった。助けと救いが欲しかった。
そんな時に、丁度、知り合いになった友人が教会へ
誘ってくれた。心の支えが、助けが欲しくて教会へ来た。

神様の愛を知って、本当に世界が一変した。自分が
変えられた。もし、すべてが順調で、何の悩みも無かっ
たなら、来ていない。苦しんだ事も、感謝だったと思える。

Cさん「友人から教会には誘われてたが、離婚の危機
になって、心底神様を求めた。
その時、自分の自己中心、わがまま、自我の罪深さに
脳天打ち砕かれた。自分の事しかなかった。
愛というものを知らなかった。神様の愛を初めて知った、
犠牲の愛、一方的な愛、与えるだけの愛、自分を捨て
る愛、もっと早く神様を知っていたなら・・。

でも、もし離婚になったとしても、人生途上で、自分の
罪に気づけ、自分の姿に気づけた事が感謝でならない。
神様に出会えた事が、もう何にも替えられない」

メル友Dさんも、子供の小学校入学からお母様方と
うまく行かなくて、何をしてもぎくしゃくしてと。
しんどい日々が続き、そんな中、親族ともうまく行かず、
あっちもこっちも、そんな頃、教会へ行っている方と
出会いが与えられ、教会へ。
その後も、主婦の立場で、家を抜けて礼拝を守る事
は大変で、しかし、その中でこそ、神様の恵みや守り
愛、導きを知れた。

「何でも自分の思い通りにいっていたら、イエス様を
知ることも、心にお迎えすることもできず、滅びに向
かっていた・・」

本当に、振り返る時、思い通りに行かなかった事、
思い通りでない人生だった事が、感謝で、感謝で
ならない。
こんなに素晴らしい神様と出会えたのだから。
思い通りでない人生を、有難う!!

いろんな方々の話を聞いていると、「愛されてる!」
神様に本当に、愛されている、と感じる。

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれであなたのおきてを学びました」
詩編119:71

ある著者が言った「神に深く傷つけられた人しか、
神は用いられないのではないだろうか」