2003年08月13日(水) 正しいことだけで精一杯なんて
夏休みになると、時間のたっぷりある娘とビデオ を観る機会がふえる。 最近観た何本かのなかでとても心に残った映画が あった。 「アイ・アム・サム」という映画。 7歳くらいの子供の知能しか持たない父親とその 娘の物語だ。 知的障害を持っている父親は、その障害ゆえ子供 から引き離され、子供は里子へ出されてしまう。 なぜ自分達が引き離されなければならないのか、 私たちが常識だと受け入れていることは父親には 理解できない。 父親は裁判に訴えて里親から自分の娘を取り返そ うとすったもんだの戦いをはじめる。 そのなかで、いつのまにやら周囲の人々は、純真 無垢な心を持つこの父親に癒されて行くという、 単純な癒し系のストーリーだが、観ていて心に深 く残る場面があった。 里子に出された娘に会いたくて、この父親、里親 の近所に引っ越してきてしまった。 娘は毎夜、里親の家を抜け出して父のアパートへ 会いに行く。 そこで娘は安心してすやすや眠ってしまうのだ。 これが毎夜、毎晩。 ところが父はこの娘が来るたびに、ちゃんと里親 の所につれて帰るのだ。不当に引き裂かれている 親子なんだから会いたいのが当たり前、だから近 くに越してきたのに、必ず毎夜娘をつれて里親の もとに娘を返しに行く。 いつも正しいことで精一杯、1+1=2で精一杯 で、うまくいけば1+1=3にも4にもしてしま いかねない自分を重ね合わせて、ちくりと胸が痛 んでしまった。 毎夜、毎夜のこの繰り返しに「絶対子供は返さな い」とこの父親を敵視していた里親の心は変化し ていく。 イエス様は 「自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、 それを失う者はいのちを保ちます」といわれた。 正しく生きていくことが、最終目標なのではない。 正しい自分を捨てて、はじめて人の心は動く。 そこに、いつも行き詰まるから、難なくそこを越 えて行ける人をみると作り物の映画にさえ感動し てしまう。 生きにくい障害を持つこの父は、一見気の毒な人 に見える。 しかし、建て前や見栄とは無関係にまっすぐに生 きていけることは、間違いなく神様からの賜物だ。 硬く強固な砦を自分のまわりに築くことを成長と 思い、正しい正しくない、勝ったり負けたり、そ んな価値基準から開放されて生きるのは、素直に 聖霊様を選択して生きて行けばいいだけだと、 もう一度、胸に迫って来た。 by 富士子