2007年08月01日(水)
  「神へのいけにえは、悔いた心」

Aさんと話す。
「人間て、というか自分なんですが、過去にもう
神様の大きなみわざと、奇跡や、数え切れない
恵みを見ているのに、目の前にちょっと苦しい事
が来ると、すぐに不平不満を言う。

過去に奇跡を見ているのに、目の前に来た問題
に、神様を信じようとしない。ほんとに不信仰で、
神様にもう申し訳ない。
人間て何なんでしょうね。どこまで行ってもほんと
どうしようもないですね。

昔、荒野のイスラエルを見て、この民は何だ!
出エジプトという大奇跡を見たすぐ後に、水が
無い、食べ物が無い、不平不満ばっかり!
助けの手を延べられ、みわざを見ては、すぐに
不平不満、何と愚かで、自己中心で、不信仰な
と思っていたんですが、イスラエルの民は自分だ
と気づかされました」

「奇跡に次ぐ奇跡を見ても、神様のみわざを見て
も、どれだけ奇跡を見ても、ほんと自我が強くて、
この頑固な自我が砕かれない限り、だめですよね」

「砕かれることが感謝ですよね。砕かれる事しか
ない」

「ほんとに砕きが恵みです。ずうっと人を見下して、
さばきまくっていて、それが全然気づかなかったで
す。ほんとにわからないんです。
自分が、あの荒野のイスラエルだという事もわから
なかった。
自分が正しいと思っているから、全然見えないんで
すよ。いろんな事を通して、砕いて下さって、すると、
自分がとんでもない間違いをしていると、気づくん
ですねえ。

砕きしかないです。あのまま行っていたら、どうな
っていたかわからない。恐ろしいです。赦されて、
赦されて感謝しか無いです。

“神へのいけには、砕かれたたましい。砕かれた、
悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれま
せん”詩篇51:17

この言葉がもう有難くて、有難くて、救われた思い
でした。感謝しか無かったです。

Bさん「私も、この間、友達とギクシャクして、やや
こしくなって、争いみたいになって。でも、相手が
悪いとしか見えないんです。どう見ても悪いのは相手。
自分が悪いなどと発想もないし、絶対に正しい。

そんな中、祈っていたら、自分のすごい傲慢さが
わかって。
悔い改めて、接したら、相手の良さがものすごく
見えて来たんです。自分が恥ずかしくて、恥ずかし
くて。相手は全く同じだから、自分が変えられたん
だなあと。

神様の前にへりくだる時、神様の愛をひしひし感じて、
ほんとに嬉しいです。心に喜びが溢れています」

砕かれることが感謝だと、でないと、自分の思い
の目でしか、御言葉も見えない。