2003年08月12日(火)
  大阪での夏休み



夫の転勤に伴って、この夏は大阪で過ごしている。
久々の社宅暮らしに懐かしさもあって、はじめは、
夕方に一つ、二つとともる部屋の明かりを見てい
るとだれも知らない都会にいながらも、至近距離
に人がいるぞ!という安心感は、いいもんだと、
余裕だった。
が、そのうちだんだん嫌な気持ちになってきた。

壁隣のベランダから洗濯物を干す気配が、すごく
近くに聞こえてくると、だんだん息を殺している
自分に気づく。知らない他人の存在がどんどん自
分の中で大きくなって来る。

知らず知らずに耳を凝らしたり、声をひそめたり。
だんだん嫌になってきた。

三日目になり「もう、なにこれ!」という感じで、
「神様、朝からうっとうしくなってきてます。
最初の新鮮な思い戻してください」と祈った。

すると即効で、胸のなかにつかえてた硬いものが
取れた。
同時に、罪が見えた。
昔々の社宅生活のわずらわしさは、自分のなかの
罪だったんだと気が付いた。
顔も知らない人さえ疎ましく思う…恐ろしい罪。

そしてまた、最初の軽い心が戻ってきていた。

 「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で
私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物
を賜り・・・・」    創世記28:21

神様と共にいる限り何処に行っても平安がついて
くる。

朝起きたら、隣の部屋の水の音が聞こる。
ああ隣も起きてるんだと思える。不自由な思いに
なりそうな時はいつも自分の内にある罪を思い出
そう。         by 富士子


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