2003年07月10日(木) 「思い通りでないが、それ以上のもの」
最近転勤で、岩国にやって来たT婦人。 早くに、両親を亡くしたことがあり、「家族」 への憧れが人一倍強かった。結婚して、子供が どうしても欲しかった。 不妊である事が判明、不妊治療を受け続けてい た。長い期間の治療で、経済的にも、心身共に 大変な状況の中、夢にまで見た妊娠が与えられ た。 天にも上る心地で、もう、どんなに嬉しかった か。しかし、それも束の間、あっけなく流産し てしまった。その悲しみは深く、涙、涙の日々 だった。 「神様なぜ?」「流産するなら、なぜ妊娠させ られたのか?」「こんなに悲しいなら、なぜ喜 ばせられたのか?」なぜ?どうして?答えの見 つからない真っ暗なトンネルに入り込んだよう だった。 しかし、神様はその中で、はっきりと見せて下 さった。ただ子供が欲しくて、神様は子供をく れる手段、神様から恵みをもぎ取ろうとしてい た、恐ろしい自分の姿を。 もし、あのまま子供が生まれていたら、自分は 万々歳で、有頂天になって、神様から離れてし まっていただろう。教会へも行ってないだろう と。 そして、教会でのメッセージが、「神は外側で はなく心を見られる」というものだった。今ま でも薄々気づいてはいたが、その時、自分の心 がいかに醜く汚れてドロドロかを見せられた。 自分は、人の妊娠を聞く度に、苦しくて、苦し くて、嫉妬に荒れてすさんでいたのに、私は平 気、どうもないわ、勝利してるのよ、という顔 をして取り繕っていた。 心の内は人に見えないので、外側さえ、綺麗に していればよいと思っていた。 しかし、子供をくれない神様への怒りが、爆発 し、夫に当り散らしたことも。妊娠=祝福とい う構図しか頭になく、神様がなぜ祝福してくれ ないのかが、悶々で、苦悶の中にいた。 聖霊の光に照らされて、真に心をきよめられた いと願った。その時に祈った「神様、もう外側 のことはいいです。不妊ももういいです。その 代わり、私のこのドロドロの心をきれいにして 下さい」。 すると、奇跡が起こり、あれほどあがき求めた 妊娠したいという思い自体が、きれいに消えて 無くなってしまった。妊娠しなくても、全く構 わない、こんな思いを抱く日が自分に来ようと は、夢にも思わなかった。 心が平安で、平安で、喜びで一杯で、神様が共 にいて下さることが、真に感じられ、「愛され ている」という思いが湧き上がり、嬉しくてた まらない。 神様は身体ではなく、ドロドロの心を癒して下 さった。奇跡!! by 多恵子