2007年01月01日(月)
  「神の時」

大晦日には、毎年深夜祈り会がある。
教会の一年の歩みを振り返り、個人の一年の
祝福を語り合い、祈りで年越しをする。
いつも祈り終わった時、顔を上げて「おめで
とう!」と言うことになる。

今年、教会の三原宣教とカンボジア宣教が大
きく前進した。
三原は5年間、種蒔きをし続けた。繰り返し
繰り返し、チラシ配布をし続けた。チラシを
見て、新しい人が来るには来るが、定着まで
には至らず、種を蒔き続けた。

祈っていても、神の時があるとの答え。答え
は「神の時」ということなのだ。しかし、神
は答えて下さっていた。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある」伝道3:1
「神のなさることは、すべて時にかなって美
しい」3:11

去年、喜んで集って下さる婦人方が与えられ
た。何より「喜んで」来ておられるのが、神
のみわざだ。まさに神の働きだ。

Aさん「三原を見ていて、ほんとに『時』っ
てあるんだなあと教えられ恵まれます。『神
の時』って、厳粛にあるんですねえ。」

「神が動かれない時は、事が動かないから、
ひたすら待つことよねえ。平安もって待って
いれば良いのよねえ」

「それが、待てないんですよねえ。平安に待
っていれば良いのに、焦ったり、悩んだり、
落ち込んだり、悶々としたり」

「私、ほんとに神様を信じて平安に待って
いようと思う!」

『恐れないで、ただ信じていなさい』
マルコ5:36

カンボジアデプテーションも130の教会を
訪問する事ができて、様々な助けや備えに神
の大きなみわざを見る。
頼って一歩を踏み出せば、次の一歩をどんどん
導いて先導して下さる。

神の導きはサーチライトでなく、あんどんで
あり、足もとの一歩だけを照らす。しかし、一歩
を照らされるので、必ず歩ける。
一歩進むと、次の一歩が照らされ、また、次の
一歩が照らされて、はっきり見える。

by多恵子