2003年07月01日(火)
  見せられた罪

人の罪はよく見える。
人間とは罪人なり…とわかっているぶん、
人の妬みやひがみに派生する問題に遭遇すると
「そうそう、それが罪というもの、気がつかな
いと苦しいでしょうね」と覚めて突き放してみ
てしまう。
でも、神様はすぐに私の罪を指摘された。
人の罪に腹を立ててる場合ではないよと。
礼拝の招きのなか、祈っているとズッキ!と胸
に突き刺さる痛みとともに、はっきり自分の罪
を示された。

今までは自分が悪いから罪を嫌でも意識する場合
が多かったが、今回は、一見被害者である自分の
中に陰険な罪がへばりついているのをしかと見せ
られた。

しかし即座に目をそむける自分がいた。
嘘でしょう?と認めたくない。同時にどんどん
忘れる方に意識は働く。本当に罪がどんなに恐
ろしく陰険であるかがよくわかった。
「変われますように、従えますように」と祈りな
がら、都合が悪ければ神様の語りかけを一瞬で吹
き飛ばしてしまおうとする。
人に腹を立てていたら自分の罪は意識しないでい
い。
私は気が短くて忍耐足りてないなぁ…ていどの罪
で済む。
神様に謝った。的外れな怒りに襲われそうになる
たびに祈った。

マタイ18:22〜33から、
一万タラントの借りを赦された者が百デナリの借
金を返せ!と迫っている自分の姿が見えて、この
底無しの罪を赦してもらえたなら他人のささいな
罪など痛くもかゆくもないじゃないかと思った。

神様、今日のこの思いを決して忘れる事がありま
せんように。また自分を棚上げして人にむかつい
てしまいそうな時には、必ず思い出させてくださ
いますように。アーメン   by富士子