2025年01月18日(土)
  「一粒の麦」

★親しかったAさんが癌で天に帰られた。

周囲の方々、90まで生きておられる中、
Aさんは、前期高齢者ながら、今の時代では、
まだまだ若い。

老齢なら、納得してお見送りできたが、まだまだ
若い中、主のお心を尋ね求めていた。

Aさんのご主人が、Aさんが召された後、ずっと
「お母さん、お母さん」だった。

Aさんは、ご主人と同じ所へ行きたい、同じ
お墓に入りたいと、願っておられた。

一人暮らしの中、ずっと奥様のことを考えて
おられたようだ。

★Aさんの死について、尋ね求めていた時に、


“一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
それは一つのままです。しかし、もし死ねば、
豊かな実を結びます”ヨハネ12:24


「一粒の麦」だと語られた。
まだまだ交わりたかった中、しかしAさんにより、
親族方が救いに導かれて行くと。

★ご主人が、追いかけるように召された。
Aさんの死により、色々考えておられ、死後の
こと、今まで聞いた御言葉を考えられたこと
と思う。
天に帰られたことと、感謝でならない。

そして、更にAさんの死により、ご親族方に
救いが及んで行くことを見つめ、祈って行きたい。


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★そんな中、ふとCさんの事を鮮明に思い出した。
ずっと以前に帰省の折りに、礼拝に来て下さっ
ていた。


交わりの中で、話して下さった。
事故で、小学生の息子さんを亡くされた。

もう呆然状態で、何も考えられず、悲しくて悲しくて、
ずっと涙、涙の日々だった。

そんな中も、周囲がずっと熱心に祈って下さって
いて、しばらくすると、自分も主を仰ぎ、祈りが
できるようになった。

心の悲しみ、辛さ、苦しみを、主に告げて行くと
主は受け止めて下さり、心が少しづつ〃落ち着い
て行った。


★その祈りの中で、一つの御言葉が心に響いて
来た。
心に、ピタリと来た。

“一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
それは一つのままです。しかし、もし死ねば、
豊かな実を結びます”ヨハネ12:24


主の語りかけに、心がいやされた。
子どもが、一粒の麦とされて、豊かな実を
結ぶ。

子どもの死が決して無駄だないことに、非常に
慰められ、御言葉から新しい力が与えられた。

★保障金が入った時、全部を主に献げ、主の栄光
のために用いて頂きたいと祈った。


子どもは、教会学校にいつも喜んで通っていた。

近所の子どもたちのために、子ども会を開いて
イエス様のことを伝えることを、喜んでくれる
と思った。


その保障金で、家の敷地内に、集会所を建てた。
そして、教会の先生やスタッフ方に来てもらい、
近所の子どもたちのために、教会学校を開いた。

出たり、入ったりと、沢山の子どもたちが集い、
救われる姿を見て、喜びに満たされた。

その集会所は、子どもだけでなく、近所の
婦人方のためにも用いられて行った


もう、感謝でいっぱいですと、話された。