2025年10月08日(水) 「救いのための・布石」
人が、救われる時には、それまでに「布石」 が必ずあると言われる。 神様は、「布石」を置いておられる。 自分自身も、子どもの時に、なぜか、大きく て、温かくて、包み込まれるような、本当の もの、真実なものが、あると漠然と思って いた。 中学生の時に、「レ・ミゼラブル」を読んだ。 とても感動し、その背景にキリスト教がある と知った。 高校生の時、クラスにクリスチャンがいた。 毎週、くじ引きで席を決めていた。すると その彼女と、必ず前後や左右になった。 不思議だった。 「あー、又、一緒だ!嬉しい〜。お話がで きる〜」それでよく話をし、色々な話をした。 彼女といると、とても心が安らいだ。 それを告げると、彼女も「私も、安らぐよ」と。 ストレートに、ガンガン聖書の話をするので なく、やわらかく、時間をかけて、少しづつ 伝えてくれていたような気がする。 互いの考えやら、思いやら、感じている事 やら、とにかくよく話した。 そんな中、彼女が、日記を読んで欲しいと 言った。 びっくりして、人の日記なんて、読めないと 言うと、いや、読んで欲しいと言われ、 受け取った。 神様のこと、罪のこと、日々のこと、心の内 のことが記してあった。 今、思えば、それも用いて証しになるようにと、 救いを祈ってくれていたのだと。 誠意と真実を感じた。 その中で、聖書を貸してくれて、読み始め 「あなたの敵を愛しなさい」 「迫害する者のために祈りなさい」 「右の頬を打たれたら左の頬も向けなさい」等々 が、心に響き入って来た。 クラブもあり、とにかく忙しくて、いつかゆっ くり読もうと思っていた。 そのクリスチャンが、特別集会に、教会へ 誘ってくれた。