2010年07月11日(日)
  「解放される」

Aさんが「今、平安も喜びも無いんですよぉ。対人関係で、
自分にとっては嫌な事をされて、赦せないんですねえ。

相手の行為とか言動なんですが、でも、よく考えると、
自分も、ものすごくひどい事言ってるんですよ。

相手がもろに傷つくだろうなあという事を。でも、自分は
棚上げで、人は赦せないんですよねえ(笑)

まさに、あの借金のたとえ話の、牢獄に入れられる人です。
一万タラント借りのあるしもべが、返済できず、主人に免除
してもらった。
だのに、自分が貸した100デナリを赦せず、牢に投げ入れた。
主人は怒り、彼を投獄した。

神様に罪を全部赦してもらってるのに、人の罪を赦せない。
すると、牢獄に入るんですよねえ」

「自分で自分の首を絞めて、牢獄に入る事になるよね」

「今、その牢獄です。苦しい」

「牢獄は、四六時中、真っ暗。辛い苦しい思いで、がんじ
がらめに拘束される」

「そうです、そう」

「楽しい時が無い。楽しい時も、その事を思うと心重く、
辛く、心暗くなる。日々の生活に平安も喜びも無いよね」

「そう。喜びが全然無い。神様の愛もわからない」

「赦したら、人生バラ色になるよ。楽しくて楽しくてしようが
無い。もう嬉しくて嬉しくてたまらなくなるよ。神様の愛が
わかるし。」

「それが出来ない。ていうか、したくない」

「自我だよね。自我が絶対したくないよね。これぞ自我
という、自我の在りかが、もろにわかる」

「そう、絶対にしたくない。でも、苦しいのが辛くて嫌なん
です。全然平安無いし」

「自我がどうにもならないよね。赦すって、自分に死ぬことで。
自我は絶対嫌だよね」

「Bさんが、絶対に赦せない相手がいて、自分は苦しくて
苦しくてたまらない。でも、もうどうやっても赦せなくて、
もう瀬戸際で、その時に『神様、赦せない私を赦して
下さい』と心の底から叫び祈った。

Bさんは、その時、神様に触れて、赦すことができた
んだって。奇跡だったと。あんなに赦せなかったのに、
心が解放されて、喜びと平安が来たと。
Bさん、叫んだんだね」


「心のありのままを、祈ります」