2011年12月07日(水)
  「無力の中でこそ」

Aさん「対人関係で、こじれて、自分も傷ついて
いて、もう心がいっぱいいっぱいで、どうにも
ならない。

相手は悪気が無いのがわかる。でも、こちら
はもうしんどくて、許容量オーバーで、ここで
優しい言葉を一言かければいいと、わかる
んだけど、出来ない。というより、したくない。

どうしてもしたくない。自我ですよねえ。
頑なだとわかります。でも、したくない。

こちらに余裕があれば、どうもなく受け止め
られるのに、余裕が全くない。
頭では、何もかもよくわかるんですが、
心がだめです。

でも、教会だと、婦人方みなに受け止めて
もらえて、祈ってもらえて、祈りで支えられ
ています。

どんなにひどい自分でも、弱さだらけでも、
誰にも決して責められないし、さばかれない。

だから、いつもありのままの自分を出せて、
聞いてもらえる。

そんなのではダメだと言われないし、もっと
頑張れとも言われない。
いつも皆が、受け止めて、受け入れて、
しんどいねと、共感してくれる。

心が癒されて、楽になって、御言葉与えられて、
又、頑張ろうと思える。

世の中ではそうじゃない。
そんな事でどうする、もっと頑張らんと、と
叱咤激励。もうこれ以上頑張れない。

祈りがすごい力です。皆の祈りで本当に
支えられています」


そして、もう許容量オーバーな中、祈り続けて
いると、主が直接環境に働かれた。
状況が変えられ、平安与えられ、導かれて
行った。

「神様はやっぱり土壇場で、手を差しのばされ
ますね。どうにも出来ない、無力の中で、もう何
も出来ない中で、神様の働きを見、経験します。

無力の中でこそ、神様を知ることができるのですね。
慈しみ深い、あわれみ深い神様を知れて、感謝です」

いつも、神様は道なき所に、道を造られ、歩み
の一歩〃を導かれる。

自分の力が尽きた時に、神様の力が現される。