2012年03月06日(木)
  「ハンナの祈り」

礼拝メッセージで「ハンナの祈り」があった。

不妊の辛さ、不妊は神から祝福されていないとの、
当時の周囲の目、夫の愛情がハンナにあることで
嫉妬が憎しみとなり、いじめ、攻撃してくるペニンナ
からの苦しみ・・

苦境に立たされたハンナは、食事もできず、ぎりぎりの
瀬戸際で、祈りのために立ち上がった。

「彼女は主に祈って、激しく泣いた」
感情を神様にぶつけた。悲しみ、苦しみ、怒り、嘆き、
悶々をすべてぶつけた。

エリが酔っていると思うほどに、全身で、思いの丈を
ぶつけて、吐き出した。
「つのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたの
です」

感情も気持ちも何もかもを、吐き出し、そして祭司
エリの言葉を受けた時に、ハンナは変わった。

食事が喉を通らないほどに、思い詰めていたが、
「それから、この女は帰って食事をした」
食事ができた。

「彼女の顔は、もはや以前のようでなかった」
晴れ晴れし、すっきりし、もう以前のハンナとは変わった。
心は平安で満ちた。

この「ハンナの祈り」を事あるごとに、神様の前にする
ことが必要であり、大切だと。

神様に気持ちを訴え、感情をぶつけて、心の思いを
何もかも、吐き出して行く時、心に平安を与えられる。


Aさん「このハンナの祈りを実践してみて、初めて
気づいた。自分は、ハンナの祈りができない。

自我の固い壁にぶち当たって、神様に触れられたくない、
入られたくない領域があることがわかった。

目の前のあの事も、この事も、自分のためにしていて、
神様のためではない。気づかせられる。
自分の栄光のためで、自分が賞賛受けたいためで、
神様の栄光を横取りしている。

自我はどこまでも、自分のために生きたくて、
自分を満足させたくて、肉が満足することが
喜びなんだと。優越感が喜びであり、御霊の
気づきがなければ、それもわからない。

『ハンナの祈りができません』から始めて祈ります。
『自分の思いに固執する自分が、手放せません、
手放したくないです』と祈って行きます」

それがハンナの祈りだ。