2012年07月09日(月)
 
 
 
「主に向くなら」
 
  
 |  
「御霊にいる時と、肉にいる時は、ほんとに違いますね。 
 
心の中では怒ってるが、それを表に出さなければ良し 
としている肉がある。出さないのだから良いことだと。 
 
心の中で、責めたり、つぶやいたりしているが、表面 
は良い顔をしている。 
 
外に出さずに、心におさめて、我慢している自分は 
えらいと、自分でも錯覚してしまうが、でも、心には 
全然平安が無い。 
ぶつくさ言っている。 
 
外は快晴の素晴らしい、爽やかな好天なのに、心は 
全然晴れない。暗雲におおわれているよう。 
 
自分で我慢している『肉』だと、今日よくわかった。 
 
面と向かって言わないが、心の中では、しっかり 
悪口を言って、裁いている。 
 
 
何か違う・・、平安全く無いし、心重いし、おかしいと 
思い、これは違うと、心で祈っていると、 
 
さあ〜と霧が晴れて、心に爽やかな真っ青な空が 
広がったんです。心がすっきり爽やかになって、 
平安になった!」 
 
「神様に心が向いたんだ。 
 
しかし、人が主に向くなら、そのおおいが取り 
除かれるのです。 
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには、 
自由があります」Uコリント3:16 
 
「あ!、それです!主の御霊です。心に自由が広がって」 
 
「ある方が、我慢は『自我』の我と『高慢』の慢だと 
言っておられた。神様に全く頼らない。」 
 
「ほんと!その通りです!我慢は自我によるものです! 
自分の力で我慢しているから、心はもやもや〃していて。 
全然平安など無い。 
全然御霊によるものでは無いです」 
 
 
「あるがままの気持ちを、神様に祈って行きます! 
その時、いつも平安が戻ります!」(*^_^*) 
 
 
 
 
 
 
 
 |   
  |