2013年03月13日(水)
  「じっと見守る愛」

Aさんが「お母さんの説教は、長〜くて、暗〜くて、
そこに御言葉が入る」(笑)

Bさん「悩んでいる時、悶々の時は、ただ聞いて欲しい。
ただ聞いてもらって、苦しさをわかって欲しいのであって、
答えを求めているのではない。

自分で答えは、わかっている。又、親がどう答える
かも、わかっている。
すぐ御言葉を持って来る。又、どの御言葉かも、
もうわかっている(笑)
それは全部わかっている。求めているのはそういう事
ではない」

「あー。そうやってます(^^;)すぐ御言葉をもって来て(>_<)
必死に教えようとする(笑)
親は、とにかく子供に神様に従って欲しい一心で、神様
に従うことが解決だとわかるから。

そして、親は、すでに歩んだ道で、先を歩んでいるから、
人生どのように歩んだら、困らないか、うまく行くかがわかる。

だから、子供が将来困らないように、うまくやって行ける
ように、すぐ教えようとしてしまう。転ばないように、石を
取り除こうとする。

でも、子供はその時点で、失敗するなんて思っていないし、
それは実は子供のためでなく、子供が転ぶのを、
親が見たくないからですよね。自分が痛いから。
自分のため。自分が安心したいから。
自己満足のためですねえ。

でも、ダメですよね。子供が自分で困難にぶつかって、
自分で考えて、転んだとしてもそれで貴重な学びを
して行くんですよね。
石を取り除き、レールを敷くのが過保護ですよねえ。

アドバイスを求めて来たら、教えたらいいので
あって、大きなお世話で、うるさいばかりですねえ」

「どうしてもしたいなら、やってみないとわからないですね。
それで挫折しても、納得が行く。そこから学んで、又、
次に進んで行ける。
それを親がレールを敷くと、ずっと不満と恨みが残る。
肝心な事は、親の人生でなく、本人の人生ですよね」

放蕩息子の父親は、息子に財産を渡せばどうなるか
はわかっていた。
でも、あえてしたい事をさせてやり、連れ戻しにも
行かず、説教もせず、そして、見放すのではなく、
じっと見守った。それが父の愛。