2015年04月15日(水)
  「神の思いと人の思い」

「嬉しいことがあったんです!

自分の進むべき道を、時間をかけながら、ずっと
祈って来て。祈りを積んでいた。

その中で、本当に導かれるのだろうかと、正直、途中で
不安が来たり、思い煩ったりもあったりしながら、
でも、その事も、ありのまま告げて、祈りながら、導きを
待ち望んでいた。

状況やら、御言葉やら、心の平安やら見ながら、
段々、こうなのではないかなあと、思い描く
将来の姿が少しづつ見えて来て。

それらのものと併せつつ、自分としては
こうなったらいいなという、思いがあって。
これが御心かなと。段々思えて来て。


結局、今まで祈りを積んだ御心が示されると、
それが全然、自分の思いとは違ったんです。

自分の思いの進路は閉ざされて、別の形
だった。

でも、そこで、神の思いと人の思いがあるという
ことで、受け入れることができたんです!

自分の思い通りでなかったが、主の最善だと
受け止めることができた。
これ、大きな変化なんです!!

以前はそれが出来なかった。
自分の強い思いがあるばかりで、自分の
思い通りにならなければ、神様の愛を
疑ってしまい、愛されていると感じられ
なかった。

教理では、神の思いと人の思いがあると
神の思いが最善とわかるが、
現実の事柄では、受け入れられなくて、

神様に怒ってた。そして、どこが愛なのか
わからなかった。
いつも問題が起きるたびにそうだった。

今回、変えられている自分を知り、
嬉しかったです!!」


“わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり
わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。”
イザヤ55:8