2016年01月15日(金)
  「神にはできる」

委ねることの難しさを語り合っていた。

自分が執着しているもの、自分が大切にしている
ものは、自分が握り締めて、放せない。

放したくなくて、自分のものにしておきたくて、
自我が握り締めて、自分ではもうどうにもできない
ですねと。

明け渡そうとしても、渡したくない、自分のものに
しておきたい。
なぜか、渡すと無くなってしまったり、崩壊してしまうと
思ってしまう。
自分自身を明け渡すと、自分が無くなってしまうような。
恐くて、不安で渡せない。

アブラハムは、「あなたの愛しているひとり子イサク」を
全焼のいけにえとして、献げるよう言われた。

「あなたの愛している」「ひとり子」アブラハムにとって
最も大事なものであった。
年寄り子で、目に入れても痛くないほど可愛い
かったに違いない。
自分のいのちとなっていただろう。自らはもう
十分生きて来て、自分が死ぬ方が易しかった
ことだろう。

それに、アブラハムは主の大いなる約束を信じて
今まで生きて来た。
約束を信じて、生まれ故郷、父の家を出て
神の示す地を目指した。

その子孫を大いに増やすとの約束も、イサクが
死ねば断たれてしまう。
しかし、神の真実に変わりはない。神に矛盾もない。
アブラハムは、イサクをよみがえらせて返して下さると
信じて、神の言われる通りに従った。

その結果、イサクの代わりに、献げるべき雄羊が
用意されていた。
そしてこの事をしたから、ひとり子を惜しまなかった
から、大いに祝福すると。

神を第一にして行く時、神を与えられ、その他の
必要も必ずすべて与えられる。
神以外のものを第一にして行く時、神も失い、
その他のものも失って行く。


「自分が握り締めて放さないものを、委ねてゆける
よう祈ります!」

「頭ではわかっているが、強い自我がどうにもならない。
祈ります!」

「思い煩いもそうですよね。自分が握って放さない。
心に重い鉛となる。この鉛から助けられたい。」

人間にはできないが、神にはできる。


“それは人にはできないことです。しかし、神にはどんな
ことでもできます”マタイ19;26