2016年08月12日(金)
  「聞くだけでなく、行なうこと」

御言葉を聞くだけでなく、「従う」ことを学んでいた。

クリスチャンなら、御言葉聞いたり、学んだりする事は
全く抵抗なく、OKだ。

聞いて、神様の素晴らしさを新たに知れて、今日は
良かったと、帰る。
良かった、良かったと、聞くだけで満足してしまう。

しかし、その御言葉は、頭をスルーして、忘れてしまう。
映画館で、映画を観ているようで、自分とは何の関係
もない。
でも、良かった、良かったと終わる。
そんな御言葉はサタンが持ち去ってしまう。
結局、何も残らず、聞かなかった事と同じになってしまう。

最大の落とし穴が、その事にも気づかないことにある。
無意識なので、気づかず、良かった、良かったで終わる。

しかし、御言葉が入ってないので、自分は何も変わらず、
成長することもない。

“みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ
聞くだけの者であってはいけません”ヤコブ1:22

鏡を見て、すぐ去ってしまうと、自分がどのように映っていた
かを忘れてしまう。

聞くだけで去ると、自分を欺いていることになる。


Aさん「今日の御言葉ピッタリで、語られた御言葉を
行なうよう、示されてたんですが、しっかり実行します!」

実行することは犠牲と負担が伴い、考えるとがしんどくて、
つい延ばし延ばしに、先送りになっていて。
祝福を阻止したい、サタンも来ているんですよね。

そして後日、実行したAさん。

「もう思いを遙かに越えた素晴らしい結果が与えられ。
道が次々と備えられていて、驚きでした。
周りにも良い証しになって、感謝でした。
ほんとに実行して良かったです!!
サタンにやられるところでした」

「御言葉語られて、行なおうとする時に、無理!無理!
と声が聞こえて来る。
そして、どんなに難しく、無理かとの、ネガティブな
思いが次々と湧いて来て、不可能との確信にまで
行ってしまう。
サタンですよねえ」


御言葉に従う時、大きな祝福を刈り取る。
ペテロは、主のことばに従って網を下ろすと、
いるはずのない魚がいた。
それも大漁、破格の祝福だった。

サタンが必ず妨害に来ることをいつも覚えていたい。