2017年01月17日(火)
  「満足している」

「お金はあればいいなあとは、思いますが、
でも、もし何億、何10億もの大金があれば、
私は、働かなくてよいし、働く必要無いし、
ずっと家にいて、食べたい物を食べ、行きたい
所に行き、遊んで暮らす・・

でも、それってものすごく虚しいと思うんです。
生き生きした実感も、喜びも無い。

時にはしんどいが、今こうして適度な仕事が
与えられていて、働けること、充実感や達成感
が与えられていること、

ぜいたくはできないが、必要が十分与えられている。
老化はして行くが、幸せを感じ、満足できていること、
これってものすごく感謝だと思うんです。

私は満足している、これって絶対に神様にしか無い
ですよね。感謝でならないです」。

人は、富を持てば持つほど、足らなくなる。持つほど
に、もっともっと欲しくなる。貪欲の罪が潜んでいるからだ。

“しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を
受ける道です”Tテモテ6:6

神様が下さるのは、満ち足りる心を伴う敬虔。
「満足」、満ち足りる心を与えて下さる。
満足って、最高の神様からのプレゼントだ。

肉は絶対に満足が無い。不平不満、愚痴、不満足、
常に不足のみだ。あれが無い、これが無い、
これも足らない、あれも足らない・・
無いものばかりを数えて、ネガティブになる。
あれがあれば、これさえあれば・・私は幸せなのにと。


「私は今、満足している」・・これって奇跡のように
すごい事だ。
現状を受け入れている事であり、感謝し、喜んでいる
事だ。