2017年02月13日(月)
  「耳を傾ける」

「自分の事は見えないのに、人の事って、
すごく見えますよねえ。ワンクッションあって、冷静に
見れるからですよねえ。

育児の学びをした後で、子連れのママ友や
知り合いの親子に接した時に、

あ、そこは叱らなくても良いのに、小言は言わない
方が良いのに、あ、その言葉は子供を傷つけてしまう。

あ、その事は、きちんと叱らないといけないのに、どんな
に泣いても毅然とした態度で叱らないと、・・・

自分の姿は見えないのに、人の振り見てすごく
わかって。

その時に、逆に、人はよく私の事が見えるわけで、
人が言ってくれる事って、耳を傾けて聞かないと
いけないなあと、すごく教えられたんです」


「あ、わかる。試練の時って、自分は全く見えない。
真っ暗ななトンネルの中にいるようで、沈み込んだ
状態になっている。

でも、人の試練って、すごくよくわかりますよね。人が試練の
最中にいる時って、はたから見ていたら、すごく神様の
されていることが見える。

ものすごく見えて、こうこう〜で、こういう事を教えたいがために、
今、こうなっている。これが神様の教えたいことだよと、全部
言って上げられる(笑)

自分が試練にいる時は、全く見えないのに、不思議ですねえ。
だから、試練の時に、周囲の人が言ってくれる事に、アドバイス
に、聞かないといけませんねえ」


Aさんの友人、Bさんが苦しい悩みの中にいた。
日頃親しいので、Bさんをよく知るAさんには、Bさんの問題点が、
はっきり見えた。

ここが間違っているから、問題が繰り返されている。でも、そういう
所は、自我、プライドに触れる地雷だ。

そこを突くと地雷を踏む事になる。
忠告したところで、受け入れられないだろうし、二人の関係は
終わるだろうと思えた。

しかし苦しい状況にある、Bさんのために祈れば祈るほど、その
問題点を指摘するように示される。

しかし指摘すれば、絶対に痛いから、受け入れる事が出来ず、
断絶になると思えた。

だが、御霊様の示しは変わらず、忠告するように促される。幾ら
祈っても、示しは変わらない。
そこでとうとうAさんは決心して、祈って祈ってBさんに忠告した。
やはり激痛のBさんは受け入れられず、怒りで反応し、激しく
応戦して来た。

だが、Bさんはその晩、眠れずずっと考えたと。そして思った。
言えば、嫌われる事がわかっていて、Aさんが言ってくれた事に
思いが至った。

そこが自分の問題点であり、弱さであることに、目が開かれ、
主の導きを祈ることができた。

そして、翌朝、BさんからAさんに謝罪と感謝の電話がかかった。