2017年04月14日(金)
  「良く見られたい」

“人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する
者は守られる”箴言29:25


人が気になる、どう思われているかが気になって
仕方がない・・日本人て、また、それが強い、
自分にも生まれつきのDNAが・・と皆で。

昔から、日本では向こう三軒両隣が、神だと
言われて来た。
失態が無いように、落ち度が無いように、何も
言われないように、神の目でなく、人の目が神
となって、人目をうかがって生きて来た。

嫌われたくない、仲間はずれにされたくない、
良い人だと思われたい、受け入れて欲しい、
愛して欲しい・・

人の目を気にすると、良い人を演技し、良い人を
振る舞い、偽りと欺瞞に陥ってしまう。

何で良い人になろうとするのか。人に受け入れて
もらいたい、愛してもらいたいから。
何で愛してもらいたいのか。

エデンの園で罪を犯した時に、神との交わりが
遮断されてしまった。
神の愛の中で、喜びと楽しみの中で生きていた
のが、神から身を隠すようになった。
神から離れた結果、人の愛を求めて生きるようになった。

Aさん「自分は複雑な生い立ちも関係していて、
ずっと人に受け入れてもらいたいと、愛して欲しいと
の思いで生きて来たんだと、神様を知って気づかせ
られる。

神様を知るまでは、そんな事も全くわからず、ただ
人に嫌われたくない、良く思われたい一心だった。

良く思われたいので、本心隠して、良い人を振る舞う。
そうやってずっと生きて来て、いつしか本当の自分が
わからなくなっていた。
本当の自分の気持ちがわからない。自分を生きていない。

神様を知って、心の内側を照らされて、人の愛が欲しい
自分がわかった。
根深いものがあって、求めは目に見える人の愛なので、
神の愛より人の愛を求めているので、神の愛が、
なかなかわからなかった。

信仰によって神の愛を信じて行こうと決心した時に
初めて門口に立てて、神の愛がわかり始めた。

根深い、人に良く見られたい思いから離れるのは、
ますます神の愛を知る事によってであると、教えられ。

神様の愛を、その高さ深さ広さを知って行けるよう
祈りに持って行けている、今、ほんとに感謝です」