2018年03月14日(水)
  「弱くて良い」

「わたしの恵みは、あなたに十分である。

わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる
からである」Uコリント12:9

弱さの中で、「キリストの力が私をおおう」
だから、パウロは、大いに喜んで弱さを誇る
と言った。

とげ・・嫌なもの、忌むべきもの、これが無ければ
人生幸せなのにと思えるもの、受け入れ難い
もの、無くしたいもの・・

でも、それがある限り、キリストの臨在と共に
人生を歩める。
それなら、その方が良いと、パウロは言った。


「病を通った今、これがすごくわかります!
まさに、自分のことで、今、自分にピッタリ!です。

すぐに体調に響いてしまい、何も出来ない
自分、恵みは十分で、神様の憐れみと慈しみに
本当に感謝です。

強くならなくてよい、弱いままでよい、ほんとに
恵みをひしひしと感じさせられています。
感謝しかないです。

神様を知る以前は、強いことが良いこと、何も
かも自分でしなければならず、頑張ることが善、
だったので、弱くて良いなどと、もう真逆の全く
わからない、意味不明の世界。

自分がやらないで誰がやる!自分しかいない!
もう頑張りに頑張ってました。
全部自分の肩にずっしりかかるので、しんどくて
しんどくて、でも、やるっきゃない!でやってました。

神様を信じて、試練のある度に、恵みが十分
であることを実感させられて、させられての、
歴史ですね。

この世では、強いことが善、弱さは悪、ですよね。
弱いままで良いなどと、ほんとに嬉しい。
安堵と平安に満たされます」


肉は、自分が認められたい、評価されたい、自分の
栄光が欲しい。
だから、自力で頑張る。弱いことは忌むべきこと。
受け入れられないもの。

でも、自分の弱さを通される時、何という恵みで
安堵。頑張らなくて良いとは(*^_^*)