2019年02月09日(土)
  「良い倉から良い物を」

“良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い
人は、悪い倉から悪い物を出します。
なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです”
ルカ6:45

★「日常生活の中で、実感させられます。
言葉って、ほんとに心から出て来て、自分が神様を見上
げてなくて、肉にいる時に、肉の言葉を発してしまう。

その時は、神様が飛んでしまっていて、自分で生きていて。
古い性質の、生まれつきのままの自分なので、カチンと来る
と言い返し、自分は棚上げで、相手の非ばかりを責めてしまう。

そんな時は、必ず自己正当化し、悪いのは相手や状況。
全く、神様が飛んでしまっている状態。

肉の倉である悪い倉から、悪い物を出している状態ですよね。
悪い倉から悪い物を出すと、それだけで終わらず、相手にも
悪い物を出させてしまうことを教えられます。

批判や非難、攻撃をすると、相手の倉から悪い物を引き出し
てしまう。自分だけで済まない。

そして逆に、新しい性質の、良い倉から、御霊に導かれて良い
物を出すと、相手の中から、思いやりや、愛情や、良い物を引き
出す。

言葉は、心の問題と御言葉が言っているように、心が御霊に
導かれているか、肉に支配されているかなので、

一日一日、祈りながら、御霊に導かれて、御霊に支配されて、
歩むことが大事で、自分には出来ないから、祈りなんだと思います」



★「ほんとに、そう思います。神様を見上げて歩んでいないと、すぐ
イライラしたり、とにかく目の前のことに、肉で反応してしまう。

肉の言葉、肉の態度、肉の行為は平安は無いし、必ず後悔する。
周囲に害毒を流し、証しをだめにしてしまう。

祈りつつ、神様を信じて、見上げて歩んでいると、思い通りにならな
い事態でも、イライラせずに、ご計画がある、神様のみ思いがある、
別の御心があると思えるので、受け入れることができて、心は平安で、
思い通りでなくても、対処対応して行ける。

全然違いますよね。
でも、凄まじい世の勢いに、すぐ流されてしまうので、神様を意識
して、祈りつつ、一日を歩むことだなあと思います」