2019年06月06日(木)
  「試練から学ぶ」

試練の時に、要注意が肉の対応をしてしまうことだ。

痛いことからは、どうしても逃げたいので、環境を変え、
環境から逃げ出そうとしてしまう。

しかし逃げても、自分自身は何も変わらない。次に同じ問題
が来た時に、また逃げてしまう。

また、単に我慢して、自分を抑え込んでしまう。早く問題
が過ぎ去るようにだけを願い、ただ頭をおおって、しゃがみ
込んでしまう。
ただ我慢して、しゃがみ込むのでなく、主に向かって、主
に祈ることが大切だ。
心の内もことごとく告げながら。

試練の時には、どうしても、とにかく問題が無くなること、
解決を求めてしまうが、そうでなく、一番大切なことは、
試練を通して、何を教えようとしておられるかだ。

学ぶことが大切で、教えようとしておられることがわかった
時に、御霊の喜びが与えられる。



Aさん、Bさん、Cさんも「試練が感謝でした。試練を通して、
自分の弱さを教えられました」。

弱さを知れたことが感謝です。試練でないと、圧迫や自分で
どうにもできない状況でないと、弱さはわからないですね。

今まで、知らなかった自分の弱さ、知らなかったので、そこ
のところで失敗を繰り返していた。つまずいていた。

しかし弱さを知ると、祈りに持って行ける。
祈りに持って行けたなら、その祈りは聞かれるので、弱さが
弱さでなくなる。弱みが、強みにされる。

試練を通して限界を知らされ、試練が自らの弱さを教えてくれる。
試練は痛いが、成長のためにどうしても必要だ。


Cさんが、仕事が出来なくなり、人生で初めて経済的苦境に陥った。
ずっと必ず月末には給与の入る生活だったので、パニックに陥った、

恐れと不安、思い煩いは恐怖となった。御言葉は必要の備えを保障
してくれているが、収入の無い生活が初めてで、目に見るところが
御言葉をおおってしまう。頭ではわかるのだが、どうにもならない。

試練が来ると、見えるところに飲み込まれ、思い煩いに支配され、
御言葉を信じることのできない弱さを見せられた。

それを祈りに持って行った時に、受け止めることができて、主が
すべての必要を満たされることを見せられて行った。