2019年08月10日(土)
  「一致・平安」

教会キャンプがあった。

世から、いっとき離れて、主に在る兄弟姉妹と浸食を共にする。
礼拝を献げ、学びをし、交わる。
山の中で、自然の木々に囲まれ、ほっとする楽しい時間だった。

心の底に、平安と心底の安堵感が横たわっている。
この安堵感はどこから来るのか、考えた。

「一致」。一致があるから、安らぎと安堵が、広がる。
潤いと、憩いがあり、喜びがある。

この一致は自分たちでは造れない。
“平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい”
エペソ4:3

御霊が与えて下さるもので、すでに一致が与えられているので、
それを保つようにと。

その一致を保てなくするのが、壊すのが、自分の肉、自我、肉の思い。
自分の良思いを通して行くと、一致が破壊される。

一致が無ければ、平安、安堵は無い。胸さわぎがし、心がざわつく。

自分の思いを捨てて、主のみ思い、御心に立つ時に、御心は
一つなので、必ず一致がある。


“見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、
なんという楽しさであろう。

それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンの
ひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。

それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこに
とこしえのいのちの祝福を命じられたからである”詩篇133:1


兄弟たちが一つになって共に住むことは、何という幸せ、何ちおう
楽しさだろう。

「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられた」

主がとこしえのいのちの祝福を命じられたなら、主に従っている限り、
誰も除くことができず、誰も損なうことができない。


“その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である”箴言3:17