2020年07月08日(水) 「思い通りにならない」
以前Aさんが、新しくイエス様を信じ救われたBさんに、神様のこと をお話しして上げていた。 「ほんとに神様に出会えて良かったこと。感謝でならない事、問題や 悩みも多々あり、その中でずっと守られ、助けられ、導かれて来た 事、試練はあるが、助けがあり、逃れの道があること、 あれやこれやと、神様の恵みや祝福を証ししていた。 そして、神様は助けて下さるし、必要は必ず与えられて来たし、 ほんとに良くして下さるんよ」 「でも、自分の思い通りにはならないんよ」と、微笑みながら(^^) 「ずっと教えられて来た。自分の思い通りにはならないって」 その通りで、ほんとに自分の思い通りにではない。 主のみ思いは、いつも遙かに高くて深くて、人の思いとは 違っている。 そして、自我は、ひたすら障害を排除して、自分の思い通りに、 自分の思いを通したいので、主はこの自我を砕かれる。 思い通りにならない事態を目の前に持って来て。 自分の思いがあるので、思い通りに運ばず、妨害が入ると イライラして、怒りが湧く。 強烈な自我だ。思い通りにならない事によって、思いが 砕かれる。 そして、信仰人生は、思い通りにならない歴史だ。 「でも、段々、信仰生活が長くなると、御言葉からも学ぶし、 心も砕かれて行き、様々な取り扱いにより、経験を通して、 自分の思い通りでなく、神様の思い通りの方が断然良い ことがわかって来る。 頭ではよくわかっても、自我が主張するのだが、でも、 少しづつ変えられて行く。 信仰生活を重ねて行く時、思い通りにならないと、「あ!」と 神様が見えて来る。 そして神様が止めておられること、自分の思いであること等、 気づかせられる。 少しづつ、妨害が入り、思い通りにならなくとも、「あ、神様のみ思 いが成って行くならいいか」と。 いら立ちや思い煩いでなく、心が平安にされる。 見方が、視点が、変えられて来ることに気づく。