2022年12月07日(水)
  「祈りに疲れた時」

Aさんが祈りについて話した。

「デボーションは、毎朝持てていて、聖書を読んで、
お祈りをしている。

色々な必要のためや、執り成しの祈りやら、祈り
は沢山あって。
祈りのノートに従って祈るが、

いつしか、祈りが義務になっていて、何かしっくり
こない。」


「おつとめみたい?」^^;


「そう、そう。それ。毎日のおつとめを果たして
いるような感じ。」

「気持ちが無くて、乗らなくて“ねばならない”状態。」


「重い荷物になるよね」


“ わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて
行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。”
イザヤ書 56:7

とあって、“祈りの家で楽しませる”っていいよね(^^)

神様との交わりが楽しい、嬉しい、喜びでいっぱい。


でも、別の面で、感情に振り回されていたら祈れない
よね。
今日は祈る気にならない、気が乗らないとか。
それならずっと気が乗らないなら、ずっと祈れない
事になる

感情だけも違う。

祈りの働きの面もある。
気が向いた時だけ、祈るのも違う。

・・・・・・・・

「祈れません。」「今日は祈る気が起きません」

「祈りがだるくて、重荷に感じます」とあるがまま

神様に告げるとよい。


Aさんが、祈りが義務になっていて、重荷に感じ、
気持ちが無い、祈れない、とありのまま祈って
行った時、


そのすぐ後、大きな祈りが答えられた!!
悩みであり、心配、思い煩いであった、祈りが
突然答えられ、事が良い方に動いた!!


祈りに悩む中で、その祈りに関して、ありのままを
正直に、祈った時、これまで祈っていた祈りが
答えられた。

大きな祈りの答えに喜び、感謝が溢れ、嬉しく、
てならず、

祈りの励ましとして下さったとわかった事が
更に感謝であった。