2024年02月07日(水)
「妬みの恐さ」
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「 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。
しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかること
ができよう。」箴言27:4
妬みの恐ろしさが、聖書の中でも言われている。
サウル王はダビデを激しく妬み、ヨセフの兄たちは
父親から偏愛されているヨセフをひどく妬み、
カインは献げ物のことで、アベルが受け入れられた
ことで、妬みにより殺害してしまった。
祭司長、パリサイ人たちは、民衆の人気が主イエス
に向かうのを妬み、主を十字架につけて行った。
妬みは恐い。妬みから憎しみとなり、実際に人を
殺して行く。
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Aさんが、立場と境遇的なことで、Bさんにひどく
妬まれた。
存在を否定される言葉を絶えずぶつけられ、ひどく
傷つけられた。
傷つけられると、Aさんも、Bさんを嫌い、憎むよう
になり、妬まれるのだが、自分も憎み、苦しくて
たまらなかった。
自分の憎しみに、いつも胸が苦しくて、痛んだ。
イエス様に出会い、その罪が赦されて、胸の奥
の痛みが消えて、平安にされた。
そして、自分も大人になった時に、Bさんの境遇と
立場だと、どんなにBさんは辛かったろうと思えた。
自分への妬みも、理解できた。
Bさんと和解ができて、心に休みが来た。
秩序が壊れることによって、Bさんの境遇も生じた
わけで、罪は、周囲の人々をも傷つけ、壊して
行き、罪は罪を呼んで行く。
主の十字架にのみ、解決があり、罪が止み、罪の
連鎖がストップする。
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