2004年02月24日(火) 互いの栄誉と神からの栄誉
交わりの中での続き Cさん「人に誉められる時、いえいえと言う。謙遜 そうに見えるが、それはへりくだりではないと言わ れ、自分の心を探るとそうだと思った。 自分では、高慢になっているつもりはないんですよ。 何となく謙遜そうにしているが、あれは、そうでな いですねえ」 Dさん「もう、素直に、はい、神様がして下さいま した。感謝です、と言えばいいんですよねえ」 Cさん「クリスチャン同士はわかるからいいんです が、世の人の前で、誉められて、感謝です、という と、何か変な人に思われますよねえ。いえいえ、が 謙遜という事になってるから」(大笑) Eさん「神様の力で出来て、神様が与えて下さった ものなのに、神様に栄光を帰さないで、自分が栄光 を欲しかったりしますよね。いえいえ、と言いなが ら、自分が栄光を受けて、すごく心地良くて、神様 の栄光を奪っている。よくあります」 Fさん「親に十分認めてもらえないで、育って、ど うしても認めて欲しくて、勉強もクラブも頑張って 頑張って頑張り続けた。でも、どんなに良い成績を 取ってもまだ上があると、決して認めてもらえなか った。 それで、いつも心に劣等感があり、自分に出来るも ので能力を伸ばして、劣等感を消し去りたかった。 人より出来るようになった時、人から、すごいね、 上手だねと言われる度に打ち消した。いいえ、いい え、そんな事はありません。 そう口では言いつつ、心の中は誉め言葉が心地良く 嬉しくて、神様なんて飛んでいて、もっと言って、 もっと誉めて欲しい、そんな思いで一杯だった。そ の部分で優越感を感じようとする、まさに裏返しの 高慢だった」 生まれつきの性質、罪の性質、肉はどこまで行って も自分を誇り、自分の能力を評価されたい。これは、 ずっとそうであり、つきまとう。しかし、新しい性 質があり、そちらは神の栄光を心から望み、喜ぶ。 “謙遜とか・・賢いもののように見えますが、肉の ほしいままな欲望に対しては、何のききめもないの です”コロサイ2:23 信仰生活、すべての場合にそうであるように、神様 の前に心を開き、正直に、自分の心にあるものを認 め、神様に話し、示される事に従って行く時、どん な状態であれ導いて下さる。 いつの場合もそうだった。正直に神様の前におれば、 必ず前進させて下さる。自分に栄光を帰する者をあ われんで下さるように。 by 多恵子