2025年09月06日(土)
  「映画・キリング・フィールド」

先日、録画していた「キリング・フィールド」を観た。

何年も前に観ていたが、時々、観たくなる。
カンボジアに心惹かれる。

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1975年〜1979年、カンボジアで大虐殺が
あったが、知らなかった。

ポルポトのことは、名前だけは知っていたが、
当時、まず、その大虐殺も余り報道されていなかった。


ポルポトはフランスに留学し、原始共産主義
を学び、それを自国で実行した。

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カンボジアは、ベトナム戦争の影響を受け、悲惨な事
になっていた。

1970年3月、
米は、親米派のロン・ノル将軍をクーデターにより、首相
の座につけた。

1970年4月
北ベトナムから、南にいるベトコンへの支援ルートで
カンボジアを通っていた。それを遮断するために、米は、
軍をカンボジアに侵攻させた。

1973年1月
パリ和平協定で、ベトナム戦争終結となり、米は軍を撤退
させ、北爆も中止した。しかし、ロン・ノル政権がポル・ポト
軍にやられていて、ポルポト解放区を叩くため、空爆を再
開。25万トンの爆弾が投下されたとか。

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★<この辺から映画が始まる>

実話に基づいて制作された映画だ。

1974年8月
ニクソン大統領が、ウォーターゲート事件で辞任。

ラジオで失脚のニュースが流れる中、米軍のカンボジア空爆
が誤爆で、沢山の罪の無い人々が死ぬ。

NYタイムスの特派員シャンパート記者が、それを取材に
走り回り、記事にする。通訳&ガイドのカンボジア人
ディス・プランが同行する。

1975年4月17日
何と驚くべき事に、米の圧倒的空爆にかかわらず、ポルポト
軍クメール・ルージュは、逆に、首都プノンペンを制圧した!

アメリカ帝国主義を、自分たちで倒したとの自信で、以後、
狂気の独裁恐怖政治へと突き進む。

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米大使館では、

「これから、この国は血の海になる」と言い

職員全員、軍のヘリコプターで退去する。
残った報道関係者は、フランス大使館に避難。

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そこからポルポトの、自国民大虐殺が始まる。

200万人とも300万人とも言われ、数もわからない。

原始共産主義を遂げようとして、

民を、全員首都から、農村へ移動移住させる。
銃で脅し、強制的に。


大人の今までの古い価値観が諸悪の根源で、
新世界は価値観がまだ無い、子どもたちによって
打ち建てると。

大人は不要で、殺して、殺して、殺しまくった。
遺体はごみの山となり、捨てられた。

2人の子どもに銃を持たせ、2,30人の大人を
見張らせる。

たかが子ども2人を、大人も、もう何も出来なかった。

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家族を解体し、密告社会を作り、誰かの名前が出るや、
裁判など無く、即、拷問、死刑に。

家族や近隣同士で密告し合わせる。人間の一番大切な
愛と信頼を破壊する。

歴史上で、ジェノサイトが、時々起きる。

人間の罪、背後のサタン。

サタンにしかできない、

陰湿、狂暴、残虐、残忍、冷酷、暴虐、惨忍、非道、凄惨、
陰惨、壮絶・・ 言葉が無い。言い足りない。

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目をそむけるほどの残虐性だが、

それでもまだ、実際とは比べものにならないほど、
ゆるくしたと。

できるだけ、年限制限なく、多くの人に観て欲しいから。

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実話の本当の当事者の、カンボジア人が、映画の中で、
通訳として演技していた。

まさに、自身が通った境遇であり、演技より、そのままだ。

素人で出て、アカデミー助演男優賞に。

一挙手一投足、視線の動き、迫真の演技、ほんとに凄い。


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ポルポトの惨劇に、言葉にならない、深い深い傷を負った、
カンボジアの人々に、主の永遠の救いがありますように。