2006年05月24日(水)
  「突然に」

遠方の友人からメール。

いつも祈り続けている家族の救い。
突然、お姉様の救いの日がやって来たと。

・・少しづつ、神様に向きかけていた姉の心が、
ネガティブになり、神様に対して、そっぽを向いて
いきそうな雰囲気だった。
私は、遠慮がちに救いについて話してきていた
が、姉は"もう少ししたら"と渋っていた。

"もう少ししたら"と言われると、いつも何も言えなく
なっていたのに、その日ばかりは、自分でも驚くほど
神様に導かれて、言葉が口をついて出た。

心の準備が出来たらと言っている内は、その日は
来ない事、神様が姉を愛してやまず、救いたいと
願っておられる、その御手に飛び込む決心は、姉
自身がしなくてはいけない事。

神様の御手には、姉の悩みに対しての全ての解決
がある事、私が信用ならない人間だとしても、それ
だけは真実である事。
私たちの罪がそれを受ける事を、阻んでいるからこそ
赦しを願い、イエス様を救い主として受け入れる事
でそこまで歩いていける事・・・などなどが
気持ちとは裏腹にどんどん口から出て来た。・・

「その日に姉は救われました。姉の気持ちを量り
つつ、又、嫌われたくない思いもあり、救いを語るのを
躇していました。
でも、ただ口に言葉が与えられたという、表現がぴったり
なほどに言葉が口をついて出てきました。

私にはなんの用意がなくても、神様はその時必要を
備えられ、それはその者の能力にはよらないのだと、
しみじみと感じました。」

お姉様の救いのみわざを聞き、救いは奇跡であり、
御霊の働きであり、「神の時」がある事を見せられて、
恵まれた。

私も経験した。救われて以来、同居の祖母にずっと
証ししたり、教会へも誘い、来てくれていた。
「はい、はい」と孫の言う事と、喜んで笑顔で幾らでも
聞いてくれるが、心には入ってないのがわかる。

長年の偶像礼拝もあり、礼拝で十字架の話になると、
必ず眠ってしまい、サタンの強い妨害も感じていた。

とにかく日々に祈り続けていた。そんなこんなで10年も
経た頃、祖母と雑談していて、突然神様の話になった
時、心に入って行くのでびっくりした。御言葉が心に入っ
て行くのがわかる。

耳を傾けて聞いてくれて、御霊が働いておられるのを
もろに感じた。その場で、福音を語ると、「信じる」と
言った。
丁度翌日、特別伝道集会で、何も言わないのに、
招きで、「今日信じたい人前に来て下さい」の招きに
自分から前に出た。

あれだけ、心に入らなかったのに、突然の事でただただ
驚き、感謝、感謝だった。

父の救いの日もそうだった。前日まで、救いはあり得ない
と言っていたのに、突然、心が変えられた。

御霊が力強く働かれる「神の時」があり、それが「突然」来る
事があり、どんな時も決して失望しないで、家族のために
祈り続ける事が大切だと、つくづく改めて感じさせられた。

by 多恵子