2007年02月19日(月)
  「善が住んでいない」

「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうち
に善が住んでいないのを知っています」
ローマ7:18

肉は「善」を懸命にしようとする。しかし、
肉が幾ら善をしても、
「肉にある者は神を喜ばせることができま
せん」ローマ8:8

善が住んでいないのだから、それが善を行な
うなら、それは偽善だ。

Aさん「すごくわかる。肉の自分が出て、神
様を差し置いて、自分が懸命に事をしている。

そして、下手すりゃ、神様より私の方がうまく
出来るわよ、と言ってる。」

Bさん「そうそう!祈ってなんて、まどろっ
こしい。こんな事ぐらい、祈ってる間に、さ
っさと出来てしまうわよ!と言ってる。」

Cさん「祈るより、さっさとやってしまった
方が早いわよ。頼ってる間に出来てしまうん
だから、なんて。」

「大きな事だったら、不安だから、必ず真剣
に祈って、導き求めてやるんですよぉ。
でも、小さな事は、神様忘れてる。頼る事も、
祈る事も忘れてて、神様が飛んでる。
やっぱり、自分でやれると思ってるし、自分
の力に頼ってる。

でも、だから、失敗しますよ。自分の力で歩
んでると、スムーズに行かないで、必ず、糸
がからんでしまうように、周囲とギクシャク
ギクシャクする。
平安と喜びが無くなり、心がざらざらして
イライラするし、荒んで来る。
その時に、気づく。神様に頼ってなかったと。」

皆で「そう、そう!状況もうまく行かなくな
るし、皆の気持ちが、トゲトゲして、秩序と
調和が失せて、責め合ったり、さばき合った
り、害毒が流れてるんよね」

肉はどこまでも、自分の力でやろう、やろう
とする。砕いて下せさる事が感謝。
神様に頼って、頼って、歩む時、喜びと平安
に心が保たれる。