2007年10月25日(木) 「災いではなく、平安と将来と希望」
クリスチャンにとって、災いはなく、悪い事もなく、 すべてが益となり、祝福であることを話していると、 Aさんが「振り返る時、本当にその通りです!! 時を経て、振り返って見て初めてわかるんですね。 子供の事で、一番しんどいどん底の時があった。 子供が自分のしたい事がわからず、どこへ進んで 良いのかもわからず、子供自身が苦しい、悶々の 日々だった。 自分が押しつけをしてしまい、過保護にしてしまい、 子供が親の言いなりで、自分の気持ちがわからない 子に育ててしまったと、悔いて悔いて、落ち込んだ。 子供の事が一番痛く、心配で心配で、これから将来 どうなるのだろうと、一寸先も見えない不安と恐れ、 思い煩いのどん底の日々だった。 神様に委ねようとするが、委ねられない。委ねたいの だが、委ねる事ができない。自分が子供を握ってしま っていて、放せない。自分で必死に何とかしようとして いる。でも、どうにもできない。 悶々の苦しい日々が続き、とうとうどん底で子供を 手放したのだと思う。神様に委ねざるを得なくなっ て委ねたのだと思う。 自分がこうしてしまったのだから、とにかく子供に もう押しつけはすまい、どうなったとしても見守ろ うと思えた。見守ってやることができた。 そう出来たのも、自分が委ねる事ができたからだと 思う。すると、子供は自分で賜物を見つけた。 その時も、今までと全くの方向違いに戸惑ったが、 とにかく子供の気持ちを尊重してやろうと思えた。 その道を応援した。 すると、子供は生き生きとして、喜んで楽しそうに 歩み始めた。幸せそうだった。 振り返る時、一番どん底の苦しみの中で、自分自身 は神様を知った。あの苦しみが無ければ、今も神様が わからないままだと思う。 神様が近くなった。苦しみのお陰だ。 そして、子供は賜物の人生を見い出した。 こんなに素晴らしい、何ものにも替えられない大き な祝福を得た。本当に苦しみは仮面をかぶった祝福 だとわかる。 これからも不都合な事、悪い事、マイナスな事が来る だろうが、素晴らしい祝福だと思える。 神様にあって、いつも希望があり、期待がある。 本当に感謝しかない。 「わたしはあなたがたのために立てている計画を よく知っているからだ。 それはわざわいではなくて、平安を与える計画で あり、あなたがたに将来と希望を与えるための ものだ」エレミヤ29:11