2007年11月22日(木)
  「・・でも」

神様は約束を与えて下さる。

しかし、しばしば現実に見えるところと、
約束の御言葉が、相反する。全く正反対だ。

神は「〜を与える」と言われるが、目に見
えるところ全く与えられていない。
与えられる気配もない。目に見えるところ、
否定的材料ばかりだ。

神は与えると言われる。「でも」現実はどうだ?
目に見えるところは?

そちらを見て行くと、不信仰になって、どん
どん落ち込んで行く。暗闇の中に沈み込んで行く。

しかるに、現実を見ると、これが一体どうなる?
「でも」見えるところではなく、目に見えない
神を信じ、御言葉を信じてゆく。
御言葉の方を選び取る。
そっちの方へ向かうと、神様のみわざを見る。

Aさんが、祈っていた事があり、神は与えると
言われる。ただ信じていなさいと。
しかし、現実は正反対だ。

全く手にできないどころか、どんどん遠のいて
行く。大丈夫なんか。一体どうなるのか。
目に見えるところは、全く相反する。

「でも」神様を信じて行こうと思う。祈って
行こうと思うと、目に見えるところを見ると、
揺らぎそうな中、「でも」信じよう。

「・・でも」信じよう、「・・でも」信じよう、
を続ける中、神様は約束通り与えて下さった。

ペテロの「夜通し働きましたが、何一つ取れ
ませんでした。でもおことばどおり、網をおろ
してみましょう」

「でも」おことばどおり、現実が正反対であっ
ても、神の言葉を、約束を、絶えず選び取って
行けるように。