2008年05月21日(水)
  「求め」

神様は、「求め」に答えて下さることを学んでいた。

取税人のかしらに上りつめたザアカイ。しかし、私腹を
肥やして、財を築いたその心に平安はなく、人々から
も軽蔑され、白い眼で見られ、嫌われていた。

富が幸福をもたらしてくれると、信じていたが、決して
幸せにはなれず、孤独で、寂しく、暗い、虚しい日々
だった。
そんなところへ、イエス様というお方のことを聞き、
虚しい、孤独な寂しい心を、何とかして貰えるのでは、
満たして貰えるのではとの、求めでやって来た。

「イエスがどんな方か見ようとした」が人垣で、どう
にもならず・・しかし、決して諦めなかった。

「イエスを見るために、前方に走り出て、木に登った」

会えないなら、会えないで仕方ない、どっちでもいいや〜
そうではなく、どうしても会いたかった。

すると、イエス様の方から「ザアカイ・・あなたの家
に泊まる」と。

中途半端でなく、真剣に求める心を、イエス様はご
存じで、決して放っておかれない。

Aさん「救われた時の事を振り返ると、心が渇いて
渇いて、本当に心が神様を求めてました。
この世のもので満足できず、心が虚しくて、心を真
に満たすものを求めていた。

イエス様がザアカイの求めをご存じで、受け止めら
れたように、時ピッタリに、環境や人が備えられて
救いに入れられた。
心の「求め」をご存じで、イエス様が来て下さったこと
に改めて感謝で一杯です」

Bさん「神様を信じて、救われて、一時期離れたん
ですよぉ。
神様に対する求めが無い時は、全く神様がわから
なかったです。

でも、神様に立ち返って、神様を求めると、ほんとに
どんどん神様がわかって、目が開かれるようにわか
ったんです。
求めに応えて下さるんだなあと、求めが大切なんだ
なあと、実感します」

Cさん「順境で何も無い時って、求めもなくて、ポワ
〜ンとしてるんですが、今、次から次へと問題が
来て、難題が来ると、心がずうっと神様を求めて
います。

一つ一つの問題に対して、どう捕らえたらよいのか、
御心は何なのか、どう対応すれば良いのか、一つ
一つ神様に求めることができて感謝です。

環境に働いて下さったり、御言葉示されたり、心
になすべき志を下さったり、本当に「求め」に答え
て下さるお方であることを、生活の中で経験させ
られています。」