2008年06月25日(水)
  「すべてのことが神から発し」

様々な事態が起こる時、その事態の収拾に
必死になる。
が、大切な事は、その事態によって、神が何
を教えようとして下さっているのか、だよね、
と語り合う。

Aさん「対人関係で、自分が受け入れてもらえ
ないという辛い、苦しい、悲しいところを通り、
その歳月が続いたが、
今思えば、まさにそれがあったからこそ、神様
のもとへ来れたとわかる。
その苦しみが自分を神様へと導いてくれた。

夫は未信者で、小さな子供連れて、大変な
環境で、それでも垣間くぐるようにしてでも、
教会へ行けたのは、悲しみ、苦しみがあった
から。今思えば、渇きがあったから行けたの
だと思う。

丁度そこに友人がいて、誘ってくれた。その
友人がいなければ、教会へ足を運ぶなど思い
も寄らない事で、決して行ってはいない。

どうにも出来ない悩み苦しみがあって、そこ
に友人がいたこと、神様の自分へのご計画、
備え、愛と慈しみに感謝でならない。

逆に、悩みが無ければ絶対に、教会になど行
っていなかった。
友人の誘いも、義理もあるし、きっとうとま
しく思ったに違いない。

これさえ無ければ、自分の人生どんなに楽で
楽しく快適だったろうにと思う、まさにそれが、
神様のもとへ自分を導いてくれた。
時がたつと、本当にパズルがつながるように
見えて来るんですねえ。

その悩みは神様に取り扱われて、状況は変わ
らないが、自分が変えられて、受け止められる
ようにされて、本当に感謝でならない。
まさに自分の益と成長のための悩みであった
ことが今、よくわかる。

今は次から次へと別の試練が来るが、一つ一つ
無ければならない試練であり、自分のためであり、
ここから神の御声を聞き、学ぶ事が大切なんだと
教えられ感謝です」

人が介入しているかも知れないし、サタンも関与
しているかも知れない。
でも、目の前に来る一つ一つの事柄は、神が
自分に与えられたものであり、神から来ている。
そこが見えると、何もかもが変わる。
見方が変わり、視点が変わり、恵みと祝福になる。
神にまみえる。状況に関係無く、心がすっきりする。

そこが見えないと、心に平安はなく、すっきりもせず、
状況に飲み込まれ、ほんろうされ、人を責め、喜びな
く、どこまでも自分を正当化して行く。
方向違い、的はずれに向かってしまう。