2008年10月26日(日)
「気持ち」
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献金の学びをした。
まず献金は大きな祝福であり、特権であること。
「ばらまいてもなお富む人があり、正当な支払い
を惜しんでも、かえって乏しくなる者がある」
詩編11:24
「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに
蒔く者は、豊かに刈り取ります」Uコリント9:6
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち
足りて、すべての良いわざにあふれる者とする
ために、あらゆる恵みをあるれるばかり与える
ことのできる方です」9:8
ほんとに示された通りに献げて行くと、え?
何でこんなに献げられたのだろう?というほど
与えられて、又、献げることができる。
本当に溢れるばかりの恵みを経験する。
これは献げなければ、経験できない。
献げる心が大切。
十字架の贖い、御父のご愛、慈しみ、日々の
すべての必要へのご配慮、神への心からの
感謝を持って、お献げするもの。
月々の経済生活を献金を聖別して、スタート
させること。
聖別とは、神のために別にして取り分けること。
「あなたがたの贈り物を前もって用意していただく
ことが必要だと思いました・・好意に満ちた贈り物
として用意しておいてください」9:5
あらかじめ、聖別して、用意する。献げる心を整える。
A、B、Cさん「あー、そんなの全然していないわ。
献金になったら、バタバタ財布開いて、中にある
物を献金袋に入れている(笑)移してるだけみた
いな。
献げる心が全然備わっていない。祈って備えて、
献金をお献げして行きたい」
献金はお金への執着から守られる。
人間の貪欲は底がない。幾ら持ってもこれでいい
ということがない。貪欲は、満たされることが決し
てない。貪欲の罪は、不幸せで、悲惨だ。
貪欲は罠だ。「金持ちになりたがる人は、誘惑と
わなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚か
で、有害な多くの欲とに陥ります。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。
金を追い求めたために、信仰から迷い出て、
非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」
Tテモテ6:10
神は、この世の誰も、何ものも、決して与えること
のできない、心の満たしを与えて下さる。神から
のみ来る。
「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受
ける道です」Tテモテ6:6
神は満ち足りる心を下さる。世の中の何ものも
与えることのできない平安と喜びだ。何と幸せ
だろう。
人間は誰しも弱い。富が幸せを与えてくれると
錯覚し、勘違いし、富が偶像になってしまう。
神に、忠実にお献げする事によって、心が金銭
にではなく、神にあるようにと、心が守られる。
神から任された金銭を、神に喜ばれるように、
どのように使って行きましょうかと、祈れるなら
OKだ。
富も時間も労力も賜物も、神から管理を委ねら
れている、私たちは管理人だ。
所有者ではない。所有者は神。かの日に、報告
を求められる。神のお心に従って、喜ばれるよう
に、賢く使って行けるよう、祈って行きたい。
献金を思う時にいつも、以前の強烈なインパクトが
忘れられない。
Dさんが3人目の出産のために、2人の小さな子供
連れで帰国して来た。
国際結婚で、ご主人は外国人。出産直前になって、
突然ご主人から離婚の申し出。
まさに青天の霹靂。呆然。無かった。全くわけがわか
らない。話し合いにも全く応じない。
パニックの中で、Dさんは色々考えた時に、自分が
いかに結婚生活いおいて、自己中心で、わがまま、
相手の事を考えていなかったかを思い知らされた。
異国の地で、ストレスを夫にぶつけいつも当たって
いたと。
自分の罪です。脳天打ち砕かれました。神の無条件
の愛、一方的な愛、与える愛、犠牲愛、知らなかった。
もっと早く、神を知り、神のご愛を知っていたらと。
今までの事を謝り、もう一度だけチャンスを与えて
欲しいと願うが、ご主人は拒絶。
そんな状況の中で出産。もう祈るしかなく、祈る
ばかりだった。心労のため、母乳は全く出なかった。
この事がどうなったとしても、人生の途中で、自分の
自己中心に、自分の姿に気づけた事が、本当に感謝
ですと。神様に感謝しかないと。
丁度その時に、教会で新会堂建設をしていた。
皆で、祈りに祈り、献げに献げていた。そんな中で
Dさんが、新会堂にと献金を持って来てくれた。
Dさんは経済的に極めて厳しい状況。
それを知っているので、「でも今、Bさんが大変じゃ
ない」と、「Bさんこそ必要だし」と言うと、「これ
は私の気持ちだから。どうしても神様にお献げしたい」と。
経済的に大変な中で、もう考えられないほど大変な
状況で、「私の気持ちだから」と献げたBさんに、
もう恵まれた。
献金は、神様への「気持ち」であること、心からの
感謝であること、この時のBさんの事がいつも思い
起こされ、献金の度に、教えられ、恵まれている。
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