2010年02月12日(金)
  「出来ません」

Aさんが
以前に献身したけれど、全然献身していない。
献身者じゃないし、献身した人の生活じゃない。

神様に献げるんじゃなくて、貰う事しかない。
献身というものをしたら、もっと貰えるんじゃないか
と思ってしたものだった。

神様のことなど無く、自分の事しかない。
だから、何か都合の悪い事があると、良いものを
くれるのが神様のはずとばかりに、神様を責める。
文句を言い、全然心に喜びも平安もない。

思い通りにならないばかりの状況を通して、自分の
姿が見せられ、気づかされた。
何と言う自分の姿かと思う。もう一度明け渡したい
が絶対に無理。人生も、自分自身も明け渡すなど
できない。

自分には出来ないから、再献身を神様が与えて下
さるように祈った。「できません」「無理です」「したく
ありません」「けれど、できるように助けて下さい」

そのままの気持ちを、祈り続けた。
するとパズルがつながるように、色々な事態が
起こり、更に自らの姿を見せられ、神様以外に
救いの無いところに追い詰められた。

自分の姿を見せられ、悔い改めて、明け渡すことが
できた。神様の奇跡だ。
「絶対に自分では出来なかったから、奇跡です!」

「明け渡してから、心が守られています。平安です。
嬉しいです。感謝です。幾ら考えても不思議、
絶対に出来ないのに(>_<)」

不思議だけれど、いつも「出来ません、出来ません。
絶対に無理、無理。したくない」と祈ると、出来るように
して下さる。

本音を言い表し、本音の自分の姿を認めて行く時、
神様が奇跡をして下さる。

つまり、無力の時に、神様の奇跡が現わされる。


ほんとに「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われ
るからである」Uコリント12:9