2010年03月06日(土)
  「正直に」

神様に、全くの正直にありのままで、向き合う時、
必ず導かれて行くことを見せられて来た。

Aさんが「自分の自我が強くて、自己中心で、自分の
事しか全く無いのがわかる。自分しか無い。
人の事など考えられない。自分だけ。

神様に従うのも、自分に益が欲しいから。心が満たさ
れたいから従う。この間、自分が従う事を通して、
全体に神様の栄光が現れたというのに、自分は全然
嬉しくない。

神様の栄光現れても、自分は何も感じない。嬉しくない。
自分にとっての喜びが喜びであり、神様の喜びが喜び
でないことがわかった。どこまでも自分中心」

Bさん「Aさんすごい〜。自分も自我がすごく強くて、
自己中心だけど、正直に言えるから、Aさんすごい」

「Bさんも言っとるじゃん」(笑)

「まあ、肉はそうよ。それが肉よ。イエス様が十字架で
苦しんでいても、血まみれになっていても、肉は平然
としている。何も感じない。これが罪の性質」

「ポルポトみたいな極限の状況が無いだけで、もし
極限状況に置かれたら、肉はモンスター」

「神様畏れて、御霊に支配されて従って行かないと
何をするかわからない」

Aさん「今、神様に焦点が合ってないんですよねえ。
ずれてて、自分に焦点が合ってる。自分、自分しかない。

いつも学ぶ太陽の前に十円玉置いたら、太陽が
見えなくなってしまう、あれ。
神様の前に自分を置いてて、神様が見えてない。
神様、何もしてくれん。ご利益もくれんし、不良債権
つかまされたと思ってる。」「はあ」大笑い。

そして翌日・・。

Aさん「昨日、神様は不良債権じゃ!言ったけど、
朝、祈ってたら、不良債権は自分じゃった・・」

「こんな不良債権を、見捨ても、見放しもしないで、
ずっと見守ってくれて、愛してくれて、神様に申し訳
ない。神様、ごめんなさい」

神様に自分のありのままの姿を、向けて行った時、
神様に確かにまみえる。

ごまかして、あいまいにして、良い子でいたら
全く神様に触れることができない。