2010年04月08日(木)
  「認めた時に」

思い煩いを持っていないで、一つ一つ神様に
委ねる事を学んでいた。

Aさん「私、祈りの時に、心配事や思い煩いを委ね
ますと祈ってるんですよぉ。
でも、全然無くならない。委ねた後も、不安で思い
煩いがあって消えない。何でなんですかねえ」

「口だけで、心は委ねてないんじゃ(^^)」

「・・・あ、そうです。委ねますと祈るのに、全然
委ねてないです」(笑)

「委ねられません、委ねたくないです、と祈った
ら、導いて下さるよ」

「あ、ほんとだ。全然正直じゃないから、神様
との交わりが成り立ってないですよね。自分が
見えた。祈りを変えます」


Bさんが、嫌で嫌で、たまらない人がいて、しかし、
自分はクリスチャン。
「愛せますように、愛せますように」と祈っていた。

いじわるされるので、辛くて、辛くて、帰宅しては
泣いていた。ずうっと何も変わらず、愛せますよう
にと祈りながら日を重ねていた。

しかし、全然祈りが答えられない。何一つ変わ
らない。

そして、その日、愛せますようにと祈っていて、
大嘘だと気づいた。愛せますようになどと
全然思っていない。愛したくなどない!

その日祈りが変わった。「神様!愛したくなど
ありません。あの人が大嫌いです!」と本音を
神様にぶつけた瞬間、心が変えられた。

自分の目が変わって、その人に対して、違う見方
が出来た。
自分をそのように攻撃し、いじわるする事しか
できないその人が、気の毒に思え、かわいそうに
思えた。

その日、心からその人の祝福を祈る事ができた。
自分でなく、御霊様だった。
自分の本当の姿を認めた時に、変えられた。